フルトヴェングラー

 

 中二の頃、須賀川のレコード店、ヨシグンで、クラシックのコーナーを物色していたとき、ベートーベンのところで初めてフルトヴェングラーのレコードを目にした。

 ベートーベンのコーナーのレコードは、ジャケットは大抵がベートーベン本人の肖像画かヨーロッパ的な写真とかであったが、この人のレコードだけはジャケットがベートーベンではなく、このフルトヴェングラーという人物の肖像であった。そういうものがベートーベンのところだけでいくつもあった。

 これはよほど偉い人に違いないと、買ってみることにした。高いものでもなく、仏のLPが2000円くらいの時代に1300円であった。この時に買ったのがベートーベンの3番、1944年の録音ということでいわゆるウラニアのエロイカだった。

 聴いてみて感じたのは、録音がかなり古いことだ。そういうことがまるでわからずに購入したのでややガッカリしたが、それでもこのレコードは毎日のようにプレイヤーにかける愛聴盤となった。

 この後ちょっと過ぎて、テレビでカラヤンのエロイカをやった。放送用の録音だったが、同じ「英雄」なのに、こっちの方は何だか全然迫力がなくていいとは感じなかった。当時カラヤンは来日もあり人気絶頂だったが、なーんだたいしたことないや、と思ったものである。ウラニアのエロイカと比較されては仕方がないが、この時、私はクラシック音楽というものが指揮者によってかなり違うのだということを知った。

 その後この音楽熱はバンド結成などによってロックへと変わり、再びクラシックへと移行するのは環境が整った大学に入ってからのことであった。

 大学の寮、和敬塾には小沢陽というクラシックにやたら造詣の深い先輩がいて、クラシックに関していろいろ教えてもらったものだ。この人は今は日本交響楽協会にいて、私も2001年には会社でピアニストを招いて記念コンサートを行ったこともある。

 この時期から熱狂的なファンになった私はレコードを買いまくった。高田馬場に中古レコード店もあったので、これもまた良かった。

 

 フルトヴェングラーの場合は、本人がもうとっくに亡くなっている(1954年11月30日没)し、熱狂的なマニアが多いので、同じ曲でも違う録音だといくらでもレコード、CDが売り出される。また、「音楽は一回限りの芸術」と本人も言っているとおり、演奏によって印象が違うので、同じ曲でも演奏した日が違えば何枚でも買ってしまう。また、それでも価値があるのである。

 

 クラシック音楽を聴く動機は、やはり父の影響によるものが大きいのだが、父はフェリックス・ワインガルトナーが好きで、フルトヴェングラーに関しては名前は知っているものの、特に好きでもない。父はSP時代の人間で、LPの頃になると忙しくなったせいかクラシック熱も冷めてきたので、そういう影響もあるかもしれない(SP時代にはあまりフルトヴェングラーの名盤は存在しなかった。)。

 

 私にとってフルトヴェングラーのあり方はレッド・ツェッペリンと似ている。ツェッペリンもスタジオ録音が限られている割には次々と本人の意図しない実況録音版(海賊版)が登場しているが、フルトヴェングラーもそれと同じで、次から次へと録音が登場する。それは、没後50年近く過ぎた現在でも変わらない。生涯のコンサートの記録なども出版されているが、これもツェッペリンと同じである。

 「楽譜は演奏の出発点に過ぎない」という現在では及びもつかないような発想を持ち、ほかの指揮者から「この曲のこの部分はどのようなテンポで演奏するか?」と聞かれれば、「それは会場と聴衆によって変わりますよ。」と、ライブ至上主義のロッカーのような答えが返ってくる点なども、コンサートでの即興演奏が楽しみのツェッペリンとの類似点が多い。文献も非常に多く出ていて、それらも皆大変興味深い。

 音楽とはいろいろなジャンルによって、それぞれのピークというものがあるのではないだろうか?クラシックの場合、作曲はともかく演奏に関しては1930年代から40年代にかけてフルトヴェングラー、トスカニーニ、アーベントロート、ワインガルトナー、ワルター、メンゲルベルクなど大指揮者が多数登場し、まさに黄金期と言える時代があったが、ロックに関しては1968年から70年代初頭にかけて、常識を覆すすごいバンドが数多く登場し、それらは未だに聴かれている。両方のジャンルに、その時代を超える存在がまるで登場していないのである。

 

 さて、私はこのフルトヴェングラーの墓参りに行ったことがある。平成5年のことであった。業界の研修会でシュツットガルトに行くことになり、フルトヴェングラーの墓のあるハイデルベルクまでは100キロ先なので、もしかしたら行けるかもしれない・・・という安直な発想の元に出かけていったのである。

 朝早く出て、シュツットガルトから電車に乗る。外国の電車は当てにならないということだったが、そこは流石ドイツ、定刻にやってきた。ハイデルベルク駅に降りて、路面電車に乗ってベルクフリートホフで降りると、レコードのライナーに載っていたとおり、門のある墓場に着いた。

 広大な墓地、この中にフルトヴェングラーの墓がどこにあるのか。普通なら発見することは出来ないだろう。初めての異国で、広大な墓地から一人の人物の墓を探し当てることなど出来ないのが普通である。しかし、そういうことが出来るのである。なぜなら、それはフルトヴェングラーだからだ!

 

 墓の前に着くと、涙が出てきた。墓の前にはやはり他の人よりは多くの人が訪れるのだろう、ベンチが二つあった。頭の中に流れたのはブラームスのシンフォニー3番、第3楽章だった。

 

 フルトヴェングラーはナチ時代などの事を考えても、徹底して世渡りは下手だったようだが、やっぱり芸術家は世渡りがうまくては芸術家ではないよなあ。実力だけでどんどんのし上がることの出来る時代だったんだろうが、今でもそういう音楽が聴けるのは大変嬉しいことだ。「芸術は大衆に向かって語りかける。」と言ったのがフルトヴェングラーだが、果たして今の芸術家という人たちが大衆に向かって語りかけているだろうか?無学な私のようなものをクラシック音楽に夢中にさせるからこそ、フルトヴェングラーは偉大なのである。