映画レビュー:「ゲンと不動明王」(稲垣浩監督・昭和36年)

映画レビュー

「ゲンと不動明王」(稲垣浩監督・昭和36年)

 

 阿佐ヶ谷ラピュタという映画館で、円谷英二の特集が行われた。大概の作品はもう見たかビデオを持っているが、平成14年1月、「白夫人の妖恋」、「乱菊物語」、「ゲンと不動明王」の3本が上映される時があった。この時とばかり出かけていったものである。

 阿佐ヶ谷ラピュタはなかなか独特のムードを持つ映画館だった。「白夫人」はビデオがあるので残りの二本を見た。

 

 「ゲンと不動明王」は、前から見たかった作品である。監督の稲垣浩は円谷英二と10代の頃から一緒の映画会社 (天然色活動写真株式会社)で活動していた人物で、円谷英二とは最も気のあった監督としても知られている。映画製作の折り、お互いのスタッフの顔合わせの 際に、「おう!」、「おう!」と、これだけで打ち合わせが終わった事でも知られている。

 長野県の静かな農村で、妻に先立たれ、二人の子供を育てる住職がいる。子供達は田舎でのびのびと暮らしているが、住職に再婚話が持ち上がった頃から騒動が始まる。

 後妻は息子に先立たれたことから、男の子の連れ子はいやだという。そこで長男のゲンは知り合いの別な村にあるお寺の計らいである商屋に引っ越すが、そこになじめずいたずらばかり繰り返している。ゲンは本当は寂しいのだが、それを誰にもわかってもらえない。

 ある時ゲンは、お寺の中に不動明王が奉られている所を発見する。いつも拝んでいると、不動明王はゲンの夢の中に現れ、ゲンを叱咤激励するようになる。

 あまりのいたずらぶりにゲンはいったんは故郷の寺に返されるが、やがてまた他の寺へ行くことになる。妹との別れ を悲しむゲンの所へまた不動明王が現れ、ゲンをつれて空を飛び、日本中の不幸な子供達を見せて廻る。「ゲン、おまえだけが不幸なのではない。」と諭す不動 明王。ゲンは納得する。

 やがて妹とも別れを告げ、別の住職とともに旅立つゲン。幼い妹は寺の鐘を何度も鳴らしてゲンを見送る。

 

 昭和36年、円谷英二の最も乗り切っていた時代に、「モスラ」と「世界大戦争」という大作の中間に製作された作品である。規模は小品ながら、笠智衆、千秋実、乙和信子、飯田蝶子、夏木陽介、浜美江など豪華なキャストが脇を固める中、二人の子役が信じられないような 名演技を見せる。

 田舎ののんびりとした風景をカメラが追う。おそらくは、撮影された昭和36年当時でもこういう背景は既に田舎のものになっていたと思われる。その中で天真爛漫に過ごす子供達を大人達が見守る。実質的な悪人というものが登場しない和やかな映画である。

 円谷特撮は、「孫悟空」などで見せる英二独特のものであり、リアリズム追求ではなく、子供の想像の世界を映像化 していく。不動明王が登場する場面では白黒映画ながら画面が赤くなり、一工夫つけている。また、クライマックスで不動明王がゲンを連れて空を飛んでいく場 面では、不幸な子供達をゲンが空から見ることになるのだが、ゲンが「旋回飛行」するなど、英二ならではの妙なこだわりを見ることができる。

 映画の中で、後妻が嫁入りしながら意見が合わず、いったん里帰りしていき、それをゲンと妹が隣町に出向いて戻そうとする場面がある。

 ゲン達はここで隣町まで歩いて行くが、峠を越えたとき、隣町の全景が登場する。此の場面は「モスラ」のインファント島のように、絵で描かれている。

 わたしはここであっと思った。ここで登場する場面は、昔の須賀川である!英二の時代の須賀川である。

 助監督の中野昭慶などを連れてロケに行ったとき、田舎へ行くと「須賀川を思い出すなあ。」と言ったという英二は、自分が描き出す背景の中にも、故郷・須賀川を表現したのであった。

 それにしてもゲンと妹は名演技である。最近の子役など足下にも及ばない。ゲンのいたずらはどぎつい。現代の子供もしないようなイタズラを平気でするゲンを、周囲の大人は協力しあっていさめていく。昔はこれだったから良かったのではないか。心のふるさとに帰る様な気 持ちでこの映画を見た。