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異例の大ベストセラー

 「ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書 宮口幸治著)」という新書が大ベストセラーになっている。なんと発行部数が50万部を超えている。10万部を超えればベストセラーと言われる書籍の中で、これはすごいヒットだ。

 ただ、この書籍の内容を考えれば、これだけの大ヒットはむしろ不思議ともいえる。同書は円形のケーキを三等分せよと少年刑務所に服役している少年たちに問うと、とんでもない切り方をしてくることをメインに話題を展開している。知的障害と犯罪の因果関係について説明する話は、そんなに世間の人が注目する話題なのだろうか?内容は興味深いが、多くの人々が興味を持つ題材とも思えない。実に不思議である。

 そうこうしているうち、なんと同書の漫画版まで発行された。勢いは留まるところを知らない。多くの人に知らせたいような内容なら漫画版が出るのもわかるが、これはそういう内容なのか。漫画版の表紙には、薄目を開けたいかにもそれ風の少年受刑者らしき人物が、円形を不器用に「三等分」した図を手に持っている様が描かれている。なにか、この少年に屈辱を与えているような図である。はっきりいうとバカにしている。

 同書では、かつては人口の14%が軽度知的障害であったとし、「クラスの下から5人に要注意」などと述べている。まるで頭の悪い人には注意せよといっているようだ。

 「ケーキの切れない・・・」は社会では少数派のことを取り上げている感がある。ところが、決して少数派とはいえない人たちが、知的レベルが低いと断言している新書がある。「もっと言ってはいけない(新潮新書 橘玲著)」である。

一般には語ることがタブーとされている数々のことを次々と列記する同書は、日本人の3割は日本語を理解できず(100文字程度の日本語を理解できない)、小学3,4年生レベルの算数ができないという驚愕の内容である。そんなバカな、と思う人は、周囲にそういう人がいないから気づかないだけとも書かれている。そして、同書も新書としてはかなり売れている。私たちの社会には、小学校3,4年程度の学力の人がかなりの比重で存在するというのだ。

 

暴露されたタブー

 私たちの中に、頭の良くない人が結構いる、という内容のことを解説した本がものすごく売れる。これはどういうことか?「ケーキの切れない・・・」については、少年刑務所で経験した現実を前半で説明し、衝撃的な内容に読者は驚きを感じる。そして、ではどうすればいいかを後半に書かれているが、これはあまり現実的、具体的ではない。よくいわれるように、そういう人々が更生するのは難しい。「知的レベルの低い人は犯罪に走りやすい。だから解決するため努力しよう」と読者は感じにくい。ケーキを三等分できない少年がいる、そうだったのかと事実をただ知るだけになるだろう。「もっと言ってはいけない」においては、事実を淡々と述べているだけで、その対策については書かれていない。これを読んで、「そうだったのか、では頭の悪い人たちに勉強を教えよう」と感じる人はいないだろう。

 これはこういうことではないか。世の中には傍若無人に振る舞う、どう考えても自分たちよりは多少知識や教育が劣る一団がいる。一定以上の教育を受けた人々(というか普通の人)は、そういう先々のことを考えない連中を快く思っていない。少なくとも新書を読了する人は、文章に書かれた日本語を理解できないはずはなく、これら書籍で「頭が良くない」とされる集合の部類には属さない。知性の低さと社会貢献のなさは相関関係である可能性が高い。そうなると、おそらく一定の学力を持っている人たちには、日頃、頭が良くない人たちの振る舞いなどをあまり快く思ってはおらず、同列に語られることに抵抗を感じている。自分とは相容れない、違う存在と思っている。そういう鬱積した不満を持つ人々が、「ケーキの切れない・・・」のような書籍を発見し、「やっぱりそうだったんだ!」と、自分の正しさを確認して納得し、モヤモヤした心が晴れて満足感に浸るのではないか。通常の人々が日頃思っていながら口にできなかったことがはっきりと表現されているのである。(これは私の勝手な考えであることを付け加えておく)

 もちろん、頭がそんなに良くない人にも性格のいい、感じのいい人は結構いるので、すべてがダメだということは絶対にない。むしろ、そういう人たちには大変失礼なため、「ケーキの切れない・・・」のような内容の話は非常に語りにくい。それでも鬱積した不満は隠せない。あおり運転をする奴、やたらマナーの悪い人、平気でものを道路に捨てる人などを見て、「あいつは知的レベルの低い輩だ」などと納得するのではないか。そういう多くの人々の今までモヤモヤとして果たせなかった願望をハッキリと文字化してくれたため、人気が爆発したのかも知れない。

 

バカの壁

 世の中には一定以上いる人々の知性の低さ故、愉快でない出来事に遭遇することがある。私自身、それを感じることはある。

 2020年3月、地元のクリーニング生活衛生同業組合の支部総会が開催された。参加者は7,8名程度だが、前年、支部長が急死したため、後継を決めなければならなかった。

 参加しているのは従業員のいない家族経営の業者ばかり。一人だけ従業員、20名程度の会社社長がいたが、30年以上、三六協定の存在を知らず、残業代が1.25倍になることを知らなかったという「猛者」である。

 クリーニング生活衛生同業組合は、ねたみ、やっかみから成長した大手業者を追い出してきた歴史がある。私がかろうじてここに残っているのは、当方は祖父の代から続く歴史の古い業者であるからである。

 零細業者の集団のような会合になぜ顔を出すかというと、それでもこの団体は厚生労働省認可だからである。過去には理解のある理事長などに直訴して、景品表示法違反の不当表示問題等を是正していただいたこともある。市場シェアはわずかなものだが、唯一政治、行政への影響力があるのだ。上手に取り入れれば強力な力にもなる。

 しかし、個人業者たちは大手業者に対する敵愾心が非常に強い。大手との対立という長年の歴史がそうさせている。とにかく大手にものを言わせたくない。

 この日も、参加者は空席の支部長を私が狙っていると思っていたようだ。彼らとしては、それは阻止したい。重苦しい雰囲気の中、年長の業者が、「次の支部長は〇〇君がいいと思う」と発言した。どうやら、事前に打ち合わせをしていたようだ。雰囲気が不自然である。

私は正直、支部長に復帰したくなかった。現在は以前よりずっと忙しいし、あんな会議にはもう出たくなかったからである。しかし私はあえて復帰したいような素振りをしてみた。

私は「〇〇さんでいいと思うが、業界に関してはいろいろ要望があるので、今後はそういうことを提案してくれるか?」

と質問した。

 これには〇〇氏でなく、先ほどの年長業者が答えた。

年配「何の要望だ?」

私「クリーニング業界は労働問題を抱えている。この業界で働いている人たちが労働基準法で守られているとはいいがたい。その点を改善したい」

年配「知らねえな。俺たちは人を雇ってないから関係ねえ」

私「しかし現実にはクリーニングで働いている人たちは大勢いる。生同組合は厚生労働省認可だし、一応はクリーニング業界の代表なのだから、業界全体のことを考えなければならないんじゃないのか?」

年配「俺たちには関係ねえだろ」

私「いやいやそれは違う。ここでは税金だって投入されている。あくまで公共場の立場で業界を見ていかなければならないはずだ」

年配「知らねえっていってるだろ!」

 こんなやりとりが続いた。他の参加者は一言もいわずただじいっとこのやりとりを聞いていた。なぜかこの業界の人たちは年功序列の傾向が強く、年配者には決して刃向かわない。結果として頑固ジジイがいつまでも君臨するようになる。

 私は自身の正義感からこんなことをいったのではなく、半ばふざけて実現の可能性のないようなことばかり話したのだが、理由もなくとにかく遮る。

 ただ、私の行っていることは決して戯言(たわごと)ではない。クリーニング業界が抱える大きな問題に価格競争や劣悪な労働環境がある。これらは景品表示法や労働基準法違反である場合はほとんどなので、もし、生同組合が一丸となって取り組んでもらえれば、政治や行政とのパイプが強い彼らだから、これらは解決することができるだろう。そうなれば大手の攻勢に苦しむ個人業者たちも大いに助かるだろう。私のやっていることは彼らに大きなメリットがあるのだが、彼らはそれが全く理解できない。自分が理解できないことには触れられたくない。そして何か自分たちを攻撃しようとしているんじゃないかと勘ぐる。「大手だから敵」という発想で凝り固まっている。話せばわかるなんて大嘘!まさに、「バカの壁」である。彼らの一人一人が鼻持ちならぬイヤな人たちでは決してないのだが、生同組合の社会的意義を理解せず、業界の実情を全く無視しているのには困らせられる。これは彼らよりも、そういう仕組みに固執する政治や行政の責任とも思える。

 

続編に期待

 「ケーキの切れない非行少年たち」、「もっと言ってはいけない」といった書籍がベストセラーになるほど、こういった問題には世間の共感が寄せられている。とすれば、そういう人たちが「業界の代表」になっている当業界でもがく私のことは、大いに同情してくれるのかも知れない。

クリーニングの場合、現代に通用しない古い法律や、利権にしがみつく政官業の癒着などがこういう矛盾を生み出している。理解のある方が上に立っていただければいいのだが、仮にそういう人が現れても、多数派がそうではないし、今までの流れでなかなか改革を進められない。クリーニングの場合、読み書きができないと堂々と公言する人がいる。しかも、かなり大きな会社だったりする。それだけ会社を大きくしたのだから、何かしら別の才能が備わっているのだと思うが、そういう会社がやっていることを知る限りでは、「ああ、やっぱりね」と感じてしまう。

 クリーニングの世界で、「クリーニングされた衣料品をきると健康になるという健康クリーニング」、「何もしないでマイナスイオンクリーニング」などという宣伝を見たら、たいていの人は冗談なのかと思うだろう。しかしこれらは、当方が動くまでは(具体的には、労働組合と協力して要望書を出した2014年まで)当たり前のように看板になっていた。業界にはそれを止める人もいなかった。私自身、夢の中にでもいるように感じることがある。

 本来、組織の中で地位のある人は、社会性、公正さ、誠実さが求められると思う。えこひいきやエゴを連発していたら困る。十分な知識がなくとも、誠実であればいい。しかしそれを語る以前に、基礎学力に問題があったら・・・。

 クリーニングに限らず、身近な業界で起こったことにも、「ケーキの切れない・・・」や「もっと知ってはいけない」で書かれているような話は納得できるように思える出来事がある。通常の社会は学校ではないのだから、成績のいい人が優遇されるとは限らない。そうでない人たちの方が多数派な組織であれば、余計そうである。

 「ケーキの切れない・・・」等の書籍は、社会に潜む重大な事象を暴き出したといえる。だからこそ異例のベストセラーという結果として表れたのだろう。それなら今度は、そういった問題が引き起こす弊害を暴くべきだと思う。社会の中で、意外にも結構な多数派である「無知」によって、何が起こっているかもっと知りたい。

 こういう書物を「差別」という人がいる。私自身、「ケーキの切れない・・・」漫画版のイラストを見て、そこまでやるか、と思った。ただ、人種差別とかはダメだが、今回の問題は明らかに社会への弊害を引き起こしている。非常に重要であり、興味深いことが書かれてあり、今後続編のような書籍が出て、もっと掘り下げていってもらいたい。

 もちろん、無学な人をただ批判するものであっては困る。無害で他に迷惑をかけないならなんの問題はないが、実際はそうでない場合が私の知っている範囲以外にもたくさんあり、それが大変な障害となっている。ぜひとも続編を。