真砂子って誰? 円谷英二の秘密

「真砂子」って誰?

円谷英二の秘密

 

 現在、須賀川の偉人、円谷英二を朝ドラに、という動きがある中、円谷英二に関する話題を提供したい。

 

 円谷英二は、その生涯の中で、実家との手紙のやりとりを数多くしている。それらの中には若い頃、人生の悩みを打ち明けるもの、兄と慕う五歳上の叔父、一郎に叱咤激励されるもの、新しい映画会社に移り、意気込みを語るもの、戦後、公職追放指定となる心配があった時期に不安な心境を吐露するものなどどれも大変興味深いが、その中に、「真砂子」という名前が登場するものがいくつかある。戦前の手紙にも、戦後にもである。真砂子とは、いったい誰だろうか?今回はこの謎を探求していきたい。

 

手紙に登場する「真砂子」

 いくつかの手紙の中から、昭和9年と思われる(封筒が紛失している)手紙を紹介したい。

 この中には、時代劇映画ばかり粗製濫造させる古い映画会社を去り、JOスタジオに入社した時期の手紙である。英二は当時研究していたスクリーン・プロセスについて詳しく説明し、その意気込みを語っているが、ようやく理解者(大沢義夫)が現れたことの喜びを語っている。実家の人たちに実に生き生きとした映画技術の発展に向けた自身の努力について買ったっているものである。

 そして、「さんざん真砂子に急ぎ立てられているのですが」、「真砂子ともときどきは家庭争議を引き起こすほど」など、手紙に「真砂子」という女性が何度か登場する。

 また、戦後まもなくの手紙にも、長男、一(はじめや)次男、皐(のぼる)を帰省先の須賀川から連れて帰る汽車の中でも、「真砂子」は登場している(混んでいる列車の中で、ようやく席が空いて座って換えることができた喜びも書かれていた)。

 子供達と一緒に出てきたりするのであり、どの手紙の文面の印象からも「真砂子」という人は英二の奥さんではないかと思われるのだが、英二夫人は「マサノ」であり、「真砂子」ではない。

 これについて、英二の三男、粲(あきら)氏に聞いたことがある。お母様の本名は真砂子ではないかと聞いたのだが、「そのような名前は知らない」とのことだった。そこで、いろいろな手紙に「真砂子」という名前で出てくることを説明したが、「それは初めて聞く話だ」ということだった。

もっとも、父親が実家に宛てた手紙のことを息子に説明するようなことは普通ないし、後で父親の昔の手紙を息子が見るようなことも一般にはないから、これは不自然な話ではない。しかし、そうなると真砂子とは誰なのだろうか?

 

英一 → 英二

 ただ、いろいろ考えてみると、円谷英二自体が実は本名ではない。本当は長男だから「円谷英一」である。これについては、以前は、東北なまりの強い英二が都会で自己紹介するときに「ツブラヤエーイジです」といったために英二になったとか、映画人は「二」を好むから英二になったとか俗説があったが、現在では、兵役が終わって一度は須賀川に戻り、実家の手伝いをすることになった際、占いに詳しい親族がいて、姓名判断をして「英二」になったというのが最も信憑性があり、現実に親族からその話も聞いている。実家にはわずか五歳年上の叔父の一郎がおり、今後やっていく上で、一郎と英一がいたのでは長男が二人いるようだから、英二にすればいいとなり、画数を調べてみても格段に良くなることから「英二」と名乗るようになったと考えられ、それはほぼ間違いないだろう。

このように、英二自体が本名でないので、奥様も手紙の上だけではあるが、縁起を担いで「改名」した可能性が高い。

 

やっぱり真砂子は奥さん?

 もし、真砂子という奥様とは別の女性がいたとしても、実家に宛てた手紙の中に何度も書くなどということは考えにくい。やはり真砂子は奥様ではないかと思う。ちなみに円谷マサノを円谷真砂子にすると、確かに画数はずっと良くなる。これはウェブ上にある姓名判断のサイトなどでもわかる。

 案外、円谷英二という人は、縁起にこだわる人だったのではないかと思う。いろいろ浮き沈みの激しい人生を送った人だったので、そういうことにこだわるようになったのではないかと思う。マサノ夫人は円谷家の実家との関係も非情に良好だったので、実家から「手紙を書くときはこのように名乗ると良い」と勧められたのかも知れない。

 

以前からの疑問

 私が90年代に最初に伝記を書いたときも、英二が出た実家、大束屋の円谷誠さんにお手紙をお借りしたが、そこにも真砂子と書かれたものがあり、これは誰なのだろうと思った。ただ、文面から判断すると、当時もやはり奥様であることがうかがえた。

手紙の中だけのことではあったので、親族すら知らないという希有な問題だったが、円谷英二のそういう一面もうかがえて、興味深いともいえる。