地震日記:4月1日~4月15日

4月1日

 

 今日は会社の創立記念日。92年目を迎えた本日は、おそらく最悪の創立記念日だろう。本社工場の朝礼に出て、みんなを励ました。

 クリーニング新聞の「放射能被害に脅かされている」記事により、二社の同業者社長が心配の電話をかけてきた。「放射能って、大丈夫なのか」ということである。クリーニング新聞のくだらない記事のため、余計な心配をかけている。昨日のぶり返しになるが、クリーニング新聞だからといって適当なことを書いていいということはないだろう。ましてや、「金をもらって提灯記事を書いている」と堂々と宣言しているような編集長がいる新聞社ではなおさらである。

 

 午前中、須賀川アリーナに行くと、そこのスタッフがもう私を知っていて、挨拶をしてきた。何だか丁寧に扱われているようで嬉しかった。ここで新聞記者と落ち合い、無料クリーニングの取材になった。

 午後11時、営業部長が自分でワゴン車を持ってきて、クリーニング品を運んできた。この前よりは量が多く、避難している人たちに定着してきたようだ。避難はこの先、半年も一年も続くだろう。このボランティアはスタッフが慣れてくるとこっちも楽にできるため、ずっと続けていくことになると思う。ただ、これから暖かくなってくると、アリーナに洗濯機を備え付ければ、自分で洗うこともできるようになると思う。

 新聞記者からは、原子炉を廃炉にするには、50年かかると聞いた。その間、どうすればいいのだろうか?須賀川アリーナには自衛隊の楽団が来ていて、慰問ミニコンサートを行っていた。震災で、自衛隊の活躍が目立つ。いろんなところで大活躍だ。

 

 お昼は、須賀川インター近くのラーメン店に入り、普通のラーメンを食べた。ラーメン店はかなりどこでも営業しているが、メニューが限られているところが多く、手書きの「特殊メニュー」が提示される。先日家族で行った居酒屋は豊富なメニューがほぼ全部地震前と同じように注文できたが、それはチェーン店が「冷凍」だから。生ものを扱う味自慢の店は、原発事故によって大きな打撃を受けている。

 他の客が、「野菜ラーメンはないの?」と若い店主に聞いていたが、「野菜はうっかり使うと、客から何か苦情が出たら、俺たちやっていけなくなるんで・・・」と苦しい胸の内を語っていた。こういう店はたいてい決まった農家から、こだわりの野菜を買ってきて使用している。産地直送、こだわりの野菜も、これでは形無しだ。どこまでも原発だ。

 すぐ近くにあるJA直売所に行ってみた。ここは近隣農家が自分のところで採れた農産物を持ち込み、直接販売するマーケットである。安く、新鮮で、いつでも混んでいる。

 しかし今日は、どこの野菜にも「愛知産」、「大分産」など、福島県以外の名前が付いていた。こうしないと売れないのだろうか?先日のスポーツ紙には物理学者の大槻教授が「野菜は全然大丈夫。捨てるならオレが食べる」などと言っていたが、現実には販売もされない。この直売所で地元野菜が売っていないならなんの魅力もない。ただのスーパーと同じである。大打撃ではないだろう か?

 

 私の家ではずっと前から金魚を飼っていた。縁日か何かに子供が持ってきたものが、ずっと生き長らえていたのである。しかし、大地震で水槽は破損、四匹中二匹は死に、かろうじて生き残った二匹が小さな容器に飼われていた。

 それが今日死んだ。生き残ったのにかわいそうだった。

 

通販が復活し、荷物がやってきた。

 まずは20歳の頃から付けている日記。年間に20~30回くらいしか書かないが、もう17巻目である。これがなくなると困るので、2つ買った。

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(通販が復活して届いた日記)

 そしてネットで見つけた、「フルトヴェングラー・グレートEMIレコーディングス」。こちらはCDで、4400円くらいなのに、21枚組である。EMIに残した録音の集大成という印象である。

 フルトヴェングラーの録音はほとんど持っているのだが、地震でかなりやられてしまった。こういうCDで取り戻していく以外にはない。

 娘と二人でいる部屋に、ブラームスの第一シンフォニーが流れる。フルトヴェングラーは20世紀前半、大指揮者として成功していたが、ナチス政権下でもドイツに留まったため、戦中、戦後を通じ、大変苦労をした人物である。学生時代よりこの指揮者の魅力にとりつかれた私は、平成5年にドイツを訪れた際に、この指揮者の墓参りを果たしている。この演奏が聴けるのは、嬉しいことだ。フルトヴェングラーもナチス政権下でユダヤ人演奏家をまもるため、ナチスとの闘いがあり、戦後は戦後でナチ扱いされ、裁判にまでかけられるなど悲劇の指揮者であった。この苦しい時期代に、これほど似つかわしい指揮者もいないかも知れない。21枚組。当面はこのCDボックスのお世話になるのだろう。

 通販復活によって、息子までギターの部品、付属品を注文できないかと言ってきた。地震と原発事故によって春休みなのにどこにも行けないから、向こうからやってくる通販の復活は何よりも嬉しいのである。仕方ないから買ってやった。通販のポイントが3000円も貯まっていて(全部、ホテル宿泊で貯まった)、それも使った。

 

4月2日

 

 実は地震発生の11日当たり、そろそろ髪の毛を切ろうと思っていた。もともと、どちらかというと長めにしているが、だいぶ長くなってきたので近所のパーマ屋さんで着るはずだったのである(勿論、カットだけ)。それがこの地震の影響で切れていない。自分の髪はここ20年で、最も長い状態にある。ここまで長いと、前髪が目に入るし、とにかく邪魔で仕方がない。早く切りたい。前髪で目が隠れる状態でいるところを息子に見られ、ロッカーの誰だかみたいだ、と言われた。

 

 昨晩は夜の街を散策しようと午後10時頃外出した。もう使用できなくなった廃墟の市役所の敷地を越えると、以前はよく行った「H」という飲み屋さんが看板を光らせている。周りがどこもやっていないので、ひときわ目立つ感じだ。ここはマスターが一人でやっている店だが、主人がアル中で、会計も全くズサンで、だんだんみんな行かなくなってしまったが、いち早く復活したのだからすごい。失うものは何もない、という強みがあるのだろう。どこよりも先にダメになると思った所なのに、なかなかしぶとい。

 その先へ進むと、新開地という盛り場がある。タクシーが一台だけ止まっているのが見えたが、この辺は地震被害がかなりひどかった地域であり、どこもやっていないだろうと思ったら、ボトルを入れていた「M」という老舗のスナックの、緑色の看板が光っているのが見えた。

 中に入ると、常連さんで結構繁盛していた。つば付きの帽子に立派なひげを蓄えた通称「カストロさん」がカウンターで私の隣だった。この方は農家だが、「オレは放射能を食ってきたぞ!」と息巻いていた。聞けば、栽培したほうれん草を食べたのだという。今まで育ててきて、いきなり食えないなどと言われても、そんなことは守るわけがない。さすがカストロ、肝が据わっている。

 聞けば、五日前から営業していた。連絡してくれれば良かったじゃないかというと、何だか控えめな感じ。こういう時期なので、積極的な営業はしていないらしい。周り一面倒壊寸前の建物なので、そういう点も考慮しているのだろう。それでも、常連客が戻ってきている。

 ボトルはやはり入れ直しだった。私たちの商売でも津波に流された店舗の衣料品に対する賠償義務はないが(天災では店舗や会社に責任はないため)、スナックでもボトルが割れたことに関し、店舗に責任はないとみなされるのだろう。しかし、良心的な店だったため、原価でいいとのことだった。ワイルドターキーは戻ってきた。少しばかり飲んで、すぐ帰った。人がカラオケで歌うのを、 地震以来初めて見た。

 帰り二軒のコンビニの看板の光が見える。もう、24時間営業に戻ったのだろうか?しかしコンビニに入ると、品数は全く元に戻っていない。それに、すっかりなくなっているカップラーメンの棚に、おびただしい数のタバコが箱のまま

置いてあるではないか!たばこ屋に変身したみたいだ。

 日本の喫煙者は人口の4分の1というが、絶対ウソだと思う。東京などでは少ないが、田舎ではほとんどみんな吸っている感じだ。本日行ったスナックでも、ホステス、客を含め、喫煙しない人は私ともう一人くらいである。コンビニはニーズに敏感だが、こういうものは復活しなければ良かったのに・・・。売れればなんでもいいというのか。

 

 この様な大きな地震が発生し、それまでのことが忘れられているが、3月10日までの私は、クリーニング業界において、建築基準法を平然と違反する業者と激しくぶつかっていた。

 2008年、当方の商圏(会津若松市)に業界3位という大手業者が進出してきた。ところが、工場が建った場所は商業地で、石油系溶剤は使用できないところである。それを巡り、摘発して各マスコミがそれを発表したところ、悪い業者はその摘発されたところばかりでなく、業界の半分以上が違反状態であったことがわかった。私がビックリしてしまった。

 最初に摘発された様な業者は明らかに行政を騙して進出したのであり、悪意は免れないが、業界には特に零細企業などに、全く法律のことを知らなかったなどという所もあり、問題は拡大した。

 しかし、クリーニング業界には、「俺たちの秘密をよくもバラしたな」という閉鎖的な発想を持つ業者が多い。これによりこの問題を世間に知らしめた私への風当たりは強くなった。昨年2月には不正で大きく発展したクリーニング業者を後援会長に持つ民主党の衆議院議員が「クリーニング屋さんがかわいそうだ」と発言、それにより、従来からの建築基準法は大きく曲げられ、「違反していても、安全措置を施せばそのまま営業できる」という方向で、大幅な違反業者への緩和案が通る見通しである。

 しかし、現実にはこの様な大きな地震が起こり、「想定外」という言葉が当たり前の世の中になっている。簡単にクリーニング業者の違反行為を容認するような状況になれば、地震などの自然災害によって、火災事故が多発する危険性がある。

 明らかな口利きにより、不正業者の救済を図ることにより、一般市民の危険性を増大させる愚は避けるべきではないか。日本は地震国であり、またこの様な地震が起きないとは断言できない。被害はできるだけ未然に防ぐよう、可能な限りの準備をするべきである。今回の地震があまりにも痛い教訓ではないか。

 

 偉そうなことをいうようだが、私たちは結局、こういう非常事態に備えるためにいろいろと勉強してきたのではないか。一生平穏無事なら誰も何もしないはずだ。ここは、自分が今まで蓄積してきた知識や力を全て発揮できるよう、がんばろう。

 

 今日は午後3時頃から業界紙記者が来社。目的は、協議会の機関誌作成(私が編集委員長)のため。東京で編集委員会ができないため、こちらに実家のある記者がわざわざ来てくれたもの。彼は業界紙から出向し、この紙面作りを手伝っている。ついでに当社のボランティアを取材したばかりか、東京の業者から送られた救援物資を避難所へ届けた。そういう彼も、昨日の他業界紙の風評被害記事や、提灯記事宣言には驚いていた。

 

4月3日

 

 昨晩は土曜日でもあり、古い友人と会って飲んだ。「K」とかいう居酒屋に行ったが、先週家族で出かけたときと同様、なぜかこういう日々の中、居酒屋だけはメニューが豊富である。ほっき貝、ホタテ貝などの刺身がうまかった。

 昔からの友人は古くからこの地で、私のところよりもずっと古くから商売をしている家系の人で、地震のときも近所の片づけとかで動き回っていた人だ。大人しい人だが、飲み始めたらストレスが爆発したのか、猛烈な勢いで盛り上がっていた。最後はカラオケまで突き合わされてしまった。

 須賀川街中の市民に共通していえるのは、この街を離れる気持ちなんてさらされないということ。きっと避難命令が出ても留まるだろう。この街を離れての生活など考えられない。最悪の場合でも、家族と分かれてこの街に留まるだろう、それは、私も同じである。

 

 私がずっと行っているパーマ屋さんが再開し、電話して行ってみようとしたら、「水曜日まで予約がいっぱい」とのこと。どれだけ人気があるんだろう。

 というわけで、伸び放題の私の髪の毛は、もしかすると、20代前半の時期を更新して人生で一番長いのかも知れない。今頃になってロッカーの夢実現か?

 実際には、もう白髪が増えてきている。それでもこの年齢からすると白髪が少ない部類だという。それでも挑発にすると白髪が目立つとかっこわるい。この非常時では、そういう、どうでもいい問題も出てくるのである。

 

 今日は日曜日だが、郡山工場に行ってみた。品物がたくさん集まっていて、一生懸命仕事をしていた。何だか震災以来、こんな忙しい風景を初めて見た。郡山市は須賀川市ほど被害がなかったからだろうか。仕事が回復したようで嬉しかった。

 ただ、それでもいつもの繁忙期にはほど遠い。売上ダウンは現実の問題である。

 

 テレビではボランティアが被災地で活動している様子が放送されている。大変素晴らしいことで、日本人はすごいなと思った。ただ、これを見ている限り、福島県の様子は全然映っていない。どうも福島県はボランティアから外されている様だ。

 原発が原因だからだろうか?放射能が原因なのだろうか?それでボランティアが来ないなら、とにかく今回の震災で一番の被害者は福島県だろう。あまりにも大きな地震は天災だから仕方ないとして、原発は人災である。「これに替わるエネルギーは存在しない」というなら、その大きなリスクを背負う地元の人びとにそれに見合った待遇をするべきである。妻が、「今後五年間電気代をタダ にして欲しい」などと言っていたが、決してそれが冗談ではない現実が起こっている。

 

4月4日

 

 地震と原発のことで話題にならなくなっているが、4月になったというのに、朝の気温がずっとマイナスのままである。明日など、マイナス3度まで下がると予報されている。

 クリーニング業者には春が遅いことは大変問題になる。春の繁忙期にクリーニングが集まらないからだ。日中は日差しが強く、それなりに気温も上がるものの、4月としては、かなりの低温だ。ただでさえ地震と原発で大変な被害を受けているのに、こんな低温では参ってしまう。

 もっとも、昨年も4月22日に満開の桜に雪が積もるという珍現象が起こっている。4月の低温は、しばらく続くのかも知れない。

 

 今朝は無料クリーニングを続ける須賀川アリーナから二回電話があった。ボランティアのクリーニングのことについてである。

 こちらで申し出て、ボランティアをやっているのだが、市役所から出向しているスタッフは、引き継ぎが成されていないらしい。毎朝、同じことを聞いてくる。電話に出るのは当社営業部長だが、何度も何度も同じことを言っているのは全く気の毒である。営業部長は社会人生活の最初が保健体育の教員という珍しい経歴で、公務員の扱いには多少慣れているんだけれども、さすがに疲れてい るようだ。

 

 午後3時頃、クリーニング業者で、以前からメールなどで親しくしている業者社長が、わざわざ滋賀県からやってきた。この方とは任意団体で一緒で、この会に入っている盛岡市、仙台市の業者とともに、当社にきてくれたのである。

 この社長は、大手業者の中では「業界のインテリ」と呼ばれている優秀な方である。クリーニング業界は大手業者からの意見の発信がないだけに、大変貴重な存在である。そういう人が、わざわざ被災地を廻っているというのは大変嬉しいし、偉業だと思う。

 この人が最初、このツアーを計画したときには、反対したものである。被災地ではガソリンの確保が困難である上、宿泊もままならず、当初は原発の問題もかなり不透明だったからである。「ご厚意には感謝しますが、賛同できません」と言った(ただ、現在はガソリンの確保も大丈夫だし、前よりはかなりマシになってきた)。

 それを押してやってきたこの人はすごい。現状について話したが、私は業界改善へ向け本を二冊も出して燃え上がっていたときだけに、この震災は大変残念であると話した。

 これから会津若松で一泊し、北陸自動車道を通って帰るのだという。なるほど、日本列島は左側に曲がっているので、関西方面に行くには日本海側を通っていった方がいいわけだ。首都高は通りたくないとも言っていた。

 関西から、わざわざ来てくれる情け深い同業者には感謝している。三カ所を廻る予定で、飲料水を持ってきたが、みんな水は大丈夫だったということで、持って返るのもなんだからと、たくさん置いていった。パートさん達に並ばせて購入したのだという。ああ、申し訳ない。

 

 「S」という雑誌が送られてきた。私が地震の一週間ほど前にインタビューを受けたもので、座談会のような形になっている。私の写真がやたらと大きく出ている。

 私がクリーニング業界に対し、主張していることを書いてある。この巨大地震は、私が進んできた歩みをすべて吹っ飛ばして閉まったような感じである。

 しかし、これからである。

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 今年は1月2日に高校の同窓会を開いた。100人近く集まり、今まで行った同窓会としては、一番うまくいったと思う。そういうことがあったちょっと後の地震だけに、私に連絡をくれる同窓生もいる。みんな、私のことを「会長」と呼ぶ。高校時代、生徒会長だったためである。

 そういう人たちから連絡をもらうが、今のところ命に関わる被害はない。それだけでも嬉しいが、経済的打撃はただごとではないと思う。お互いがんばってこの難局を乗り越えたい。

 

4月5日

 

 本日は朝からテレビスタッフによって報道番組の撮影が始まった。全く光栄な話だが、テレビ撮影というのは時間がかかり、ずっと付き合っているのはなかなか大変である。

 

 本日は須賀川アリーナにおける無料クリーニングの撮影、商工会議所での街復興への意気込み、直売所(農協が運営するフリーマーケット的な商業施設。農家の人は場所代を払い、自分の農作物を展示販売する)での撮影などが行われた。

 商工会議所では理事長のインタビューが行われた。会議所職員はいろいろ世話を焼いてくれ、前の日記に出てくる株式会社釜屋の近藤社長に連絡を取ってくれた。これは明日アポを取ることになった。

 直売所では店長が出てきて、出荷が停止された、ほうれん草農家への取材と、この震災での悲劇、放射能によるキャベツ農家の自殺した一家への取材をアシストしてくれた。ほうれん草農家へは、スタッフがわざわざ連れて行ってくれた。これは私の専門外であり、テレビ局スタッフに任せていれば良かったのだが、自動車とかの手配の関係で私も付き合わされることになってしまった。

 ほうれん草農家は、「一緒について行かないとわからない」と直売所スタッフが言う場所で、行ったら実際ナビにも出てこないすごい田舎で、鶏小屋とかがあり、昔の農家を思い起こさせる場所だった。ハウスでほうれん草を栽培していたが、そこの主人はこういう現実には目を回している感じで、自分ではどうしようもないという感じだった。私は何となく、ここまで農協スタッフが付いてきた気持ちがわかった気がした。放射能という、未知の問題には、こんな田舎のお父さんは何ら対応できないのである。これはこれで気の毒だった。直売所スタッフも、こういう農家を大切にしているのだという気持ちがよくわかった。

 続いて、大桑原の、主人が自殺してしまったキャベツ農家である。その場所まで行くと、隣り合わせた別の家に着いてしまい、テレビスタッフは隣に歩いていった。私はこんな深刻な取材では門外漢であり、タッチすべきではないと思い、車に留まった。その農家には猫が3匹もひなたぼっこをしていて、それらを相手にして時間が過ぎるのを待った。

 

 夜は、我が家を取材した。地震で被害を受けた隣の工場と、私の本が延々と撮影された。そういう撮影の間に女房が夕食を作った。前のクレーム番組のこともあり、家族は非常に非協力的であったが、今回のスタッフが熱心だったので、最終的にはそれなりの撮影ができたと思う。長女も、長男も、女房も、長いインタビューに答えていた。

 私の部屋も延々映され、そこでのインタビューが続いた。最初は、ボランティアクリーニングをなぜするのかという様な照れくさい話だったが、最終的には自身の正義感とかに言及することも言ったと思う。まあ、どの程度報道されるかはわからない。

 

 夜には、須賀川市を俯瞰するような映像が欲しいといわれた。これは、3年前にクレーム番組と「なんでも鑑定団」でも全く同じことを言われ、そのたびに「ホテル屋上からの映像がいい」となっていたのである。

 ところが、そのホテルが地震によって現在営業停止。上に登ることなど不可能である。仕方ないので飲み屋が集中するビルに上り、これでいいとなった。撮影は明日か明後日になるだろう。

 

 私は、とにかく今回の問題については、地震は天災であり、責任を誰かに取らせることはできないが、原発は人災であり、福島県民にとって許し難い問題であると主張した。今までこういう現実がわからなかったこともあるが、出てくる放射性物質がSF映画そのままであることも話した。結局は、原発は核爆弾と同じもの。そこにあれば受ける被害は全く同じである。広島、長崎、そして、それに続くのが我が故郷とは思わなかった。この主張が、どこまでテレビで流れるのだろうか?

 

 

4月6日

 

 朝方、また二回地震があった。この頃はだいぶ余震も少なくなっていたので驚いた。

 

 本日はまず、スーパーマーケット、G店の撤去から始まった。Gは1981年に始まったショッピングセンターで、須賀川市ではしばらく唯一の存在だったが、その後同様の店が数多く開店し、店舗も老朽化して苦戦していた。 何度か店長も交代し、経営を心配していたが、地震で倒壊してしまった。最近はうまくやっていただけに残念である。客層も昔からの人たちがほとんどで、ムードは良かったのだが・・・。テレビ局の要請に従い、「店舗を失って失望する社長の図」を撮影された(ただ立っていただけだが・・・)。実際そうなんだから 仕方がない。

 

 この後、アリーナへ無料クリーニングの集荷へ行く。テレビスタッフとともに、地元テレビまで加わった。テレビに追い回されるようになれば本望だ。テレビ局どうしは仲良くやっていた。

 

 今日は本社で豚汁を作った。震災から二度目の豚汁だが、前回と違い、食材が揃っているので問題はなかった。ダシは放射性物質のヨウ素を寄せ付けない、という昆布で直接取った。この豚汁も、食べているところを従業員達がインタビューされた。

 パートさんの誰かが、ダシを取るために使っていた昆布を切り刻んで豚汁の中に入れた。これはこれでいいだろう。ただ、全体として豚肉の量が若干少ない感じで、豚汁としてはややスンナリした味になった。豚の味を昆布が消してしまったような印象だが、昆布が放射能にいい?なら、仕方ないだろう。従業員には、「昆布入りなので、これで放射能は大丈夫だ」などとあまり信憑性のない話をした。

 

 東京の同業者の社長から電話があった。ここは業界第4位という規模で、2,3位の業者の様に不正行為で伸びたわけでなく、違反工場は一つもない。それで4位にいるのだから、立派なものである。

 しかし、ここの社長は83歳、代を譲る気はないようだ。それでいて、会社のクレーム問題は私に頼ってくる。一昨年、ここのマネージャーだという人物から私の携帯にクレームの相談があり、その後、別のマネージャー二人からも相談があった。内容は全て違っている。どうも、社長が「この人に電話しろ」と言ったらしい。私の父親とは親しかったので、こっちを息子同様と考えているようだ。

 本日も、一応はお見舞いの電話ということでありがたいが、「あの人はどうだ?」、「あの会社は今どうなっている?」と東北の業者の様子を聞きまくっているので、相変わらず私のことを息子だと思っているらしい。いろいろ忙しい時期なので、年寄りの長話はかなり疲れてしまった。

 

 須賀川の東側に、「市民スポーツ会館」という体育館がある。ここに原発事故で避難してきた人たちがたくさん来ている。須賀川市の避難施設では、須賀川アリーナに次ぐ収容人員である。ここのすぐ近くに当社のコインランドリーがあるので、この施設の人たちにコインランドリー無料券をあげようと思った。

 施設に行き、事務所で担当者に直接その趣旨を告げると、すぐ伝わった。アリーナの三分の一くらいの小さな体育館だが、この体育館も、前に広がるだだっ広いグラウンドも、滅多に使用されることはない(と思う)。だいたいこんな施設があることをみんなわかっていないだろう。まさに税金の無駄遣いの典型のようなハコモノ施設である。避難する人たちがやってきて、ようやく役に立ったという感じだ。ここも、テレビが取材した。

 帰りに当社コインランドリーのあるショッピングセンターに寄った。ウィークデーなのにかなり混んでいる。やっと買い物ができるという喜びで買っているのか、避難している人たちが来ているのかはわからない。コインは相変わらず混んでいたが、先週ほどではなかった。

 

 夕方、須賀川アリーナに行き、洗い上がった品を届ける。午後4時頃だが、避難している人たちが非常に少なく、みんな外出しているようだった。館内に「クリーニングが届きましたよ」とアナウンスしてもらい、ようやく洗濯物を取りに来た人たちがいた。

品物を取りに来た女性二人がテレビのインタビューを受け、涙を流していた。そんなに感謝されるならやって良かった。女性二人は大熊町か ら来たのだという。きっと何年も、あるいは一生、家に帰ることができないのだろう。そういう人たちのために、少しでも役に立てたのなら最高だ。

 

 夜になり、昨日より活躍しているテレビ番組制作スタッフを飲みに連れて行く。こういう場合、須賀川で定番の焼き鳥店がなんと満員!後で聞いたが、東北地方へかなりの土木建築業スタッフがやってきているようだ(地震保険の調査などで集まっている保険業者などもである)。しかし、ひび割れた建物の並ぶ飲食街の中で満員とはうらやましい限りだ。これを特需景気というのだろうか? 別な店に行くが、そこもかろうじてボックスが一つ空いているという程度だった。

 腹ごしらえをして、飲み屋に向かう。街中に3店舗を持つところがあったが、2店舗が被災し、かろうじて残った一店舗にホステスさんをまとめてやっていた。ここへ入った。

 ボトルは全て割れてしまったというが、好きなバーボンをサービスで入れてもらった。この店舗も入り口はほとんど廃墟のようで、よくやっているなあ、というレベル。一時間だけいて、次のスナックで20分ほどいて、代行(店に入る前に頼んでおいた)で白河まで帰す(テレビスタッフは須賀川の宿泊先が全て地震被害のため、白河に宿泊)ことになった。スタッフの一人は、「代行を頼むのは初めてだ」と言っていた。代行は田舎にしかないから。

 

 飲んでいるとき、カウンセラーのKさんから電話があった。南相馬市の市長と知り合いだが、電話がかかってきて、現地ではストレスがたまって大変なので、カウンセリングの先生を派遣したいのだという。Kさんは、私にどうやって南相馬市に行ったらいいか聞いてきた。

 私のところから南相馬市に向かうのでは、立ち入りできない原発の半径20キロ以内になってしまうので難しいと答えた。地震により、カウンセリングを必要とする人は増えているに違いない。それもまた重要な問題である。

 

 おそらくは、あちこちで必死の闘いが行われているのだろう。さっさと出ていって欲しい原発でさえ、放射能漏れを防ぐために、命をかけた努力をしている人びとがいるのに違いない。自分もそれに負けないようにしたい。

 

 夜にも地震が二回あった。二回目は自宅に帰り途中に感じた。須賀川警察署の建物がガタガタ、ミシミシと音をたてていた。

 

 

4月7日

 

 今日は、昨日須賀川スポーツ会館で配ったコインランドリー無料使用券がどの程度使われているか、確認しようとショッピングセンターの自社コインランドリーに行ってみた。

 私は午前10時半頃に現場に到着したが、午前11時からだというのに、もう既に無料券を持った人が来ていた。その後も次々と来て、コインはすぐに満杯になってしまった。

 みんな待っていたのだから、これは大成功だ。後から日本テレビのスタッフが来てインタビューしていたが、大変喜んでくれていたようだ。これでこそ、やった甲斐がある。クリーニング店舗店員も、私の知らない人だったが(面接とかは別に人がやっているため)、一生懸命やってくれていて、なかなか良かったと思う。

 正直いって、私はコインランドリー事業にはほとんどタッチしていなかったので、今日のことにはまるで初心者のように取り組んだ。コインランドリーを無料で開放しようと言う発案も私からのものではなく、従業員からである。だから今日も、機械の操作がわからず手こずった。そして、たまたまだったのだが、従業員の若い女性も新人で、二人でモタモタし、ボランティアに取り組んだ。それでも、なんとか困っている人たちの手助けを実現できた喜びは大きい。新人店員は20歳くらいの人で、私のことを社長だとわからなかったみたいだ。「良かったね!」と言われ、肩をドンと叩かれた。帰ってから、事務所でその話をしたら、事務員達が大笑いしていた。イヤだったという意味ではなく、青年時代に戻ったような気がした。

 

 スポーツセンターには本日やっと洗濯機が置かれたらしい。じゃあ、ここの人たちはほぼ一ヶ月近く、洗濯無しの生活をしていたのだろうか?そうであれば、もっと早くやるべきだった。ここが避難所だと知ったのは、昨日だった。 官民一体の対応が必要だったのだが、何しろ須賀川は市役所庁舎がやられてしまっている。

 コインランドリーの無料サービスは、鏡石ではほとんど人が来なかった。ところが、ここでは時間が始まると、チケットを持った人たちがたくさん集まってきた。無料チケットを配ることにどれだけ差があったのだろうか?こっちは同じようにやっているので、行政の側がもうちょっとちゃんと対応して欲しいと思う。

 ちょっと前に、海岸沿いの被災地を訪れた新聞記者の方が、この期に及んで相変わらず縁故採用が目立つ地方公務員の実情を伝えたが、そういう現実は意外に全国に伝わっていない。こっちは無償奉仕なのに、嫌そうに対応する避難所のスタッフにはこの度の地震で何度も会っている。こういう震災を機に、田舎の悪習も清算されるべきだと思う。

 世の中なんて、当たり前に進んでいればなんの努力もいらない。いつか起こるハプニングや天変地異のために、それまで学んだ知識をフル回転して事態に臨むのだと思う。しかし、こういう場合が生じると、指揮を執るのは「とにかく変化が嫌な人たち」だ。そういうのが窓口というのは辛い。何とかならないのか。

 

 昨日のことだが、コインランドリー無料サービスを伝えるため、市役所に行こうと思ったら、市役所は地震で使えなくなり、須賀川市体育館でやっているという。そこへ行って担当者に会い、用を足したが、須賀川市体育館に入ると、昔のことが思い出された。

 この須賀川市体育館は私の自宅から近く、昔はプロレス大会が何度も行われた。日本プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの他、女子プロレスも来た。大昔は興行をヤクザが取り仕切り、子供は500円で入られた。これは後で知ったことだが、子供がいつでも見られるよう、日本プロレスの創始者・力道山が最低料金の入場料を安く設定し、子供や貧しい人でも見られるようにしたからだという。立派だなあ。

 それでも地元ヤクザは、私が小学生の時代、いつでも、「アンちゃん、300円でいいよ」とさらに安くしてくれた。久々に入った体育館で、妙なことを思い出した。市役所の対応は、こういう時期なのに大変親切で感心した。

 

 本日のお昼は、風評被害のため、「野菜ラーメンはできません」と言ったラーメン店に行ってみた。相変わらずメニューは限定され、7品目くらいしかなかったが、「塩野菜ラーメン」は復活!問題ないという野菜を集めた結果らしい。とにかく、野菜が食えなくなる、という事態を回避できたことは良かった。

 

 テレビの取材も終わったので、ちょっと気がゆるんで街へ出てヘロヘロ飲んでいた。ある飲み屋に行ったら、どこかの誰かわからなくなったボトルだったらタダで出すという。何だか情けないが、まあいいやという感じで入った。最後まで、客は私一人。いつものホステスさんと、ママみたいな存在の人がいて、残りのホステス二人はずっとカウンターでたたずんでいた。かなり暇な店だと思 う。

帰りにラーメン屋に寄って味噌ラーメンを食っていたら、11時半にグラグラ・・・。揺れ始めたときに、これは尋常でないことがわかった。かなり大きい。店主の奥さんに千円渡して自宅へ全力疾走!

 すごい揺れだったが(震度5強)、外へ出た頃には収まっていた。向かいの焼鳥屋さんも、客らしい人が表に出ていた。焦って走って自宅へ帰った。

 家では、パパは飲み屋で潰されているのではと心配していた。テレビではマグニチュード7.4を告げている。これは大きい。これでまた高速道路が通行止め。明日からのガソリンとかが、また心配される。自然災害だけで十分被害は大きい。

 

4月8日

 

 昨日の大きな余震は心配したが、福島県ではほとんど被害がなかったようだ。新幹線も停止、高速道路も通行止めとなっていたが、本日の午前中に復帰した。他県の被害は甚大だ。

 当社工場では、水洗機の一つの配管がゆるみ、水が漏れ出すというトラブルがあっただけだった。すぐに直った。

 

 今回の地震で気が付いたことだが、各クリーニング会社の配管がかなり もろいと思う。クリーニング業者は一般の配管業者を使うことがあまりなく、業界内の資材業者、機械業者がこれを請け負う。こういう身内での工事が、結局は 建築基準法問題などの温床となってしまったのだが、今回の地震によってそういう実態も暴露された。おそらく、前日の余震により、せっかく直したものがまた ダメになった、と嘆いている人も多いだろう。

 

 地震後もほとんど朝刊は運ばれていたが(2,3日はバイクの燃料がなく、入らないという日もあった)、折り込みチラシはずっとなくなっていた。最近になってチビリチビリ入り始めた。

 スーパーマーケットのチラシが中心だが、当社従業員によると、これらのチラシに宣伝されている野菜には、福島産が一つもなくなっているという。実際には直売所や他のスーパーでも福島産と思われる野菜が復活しているのに、宣伝ではそれを表示しないのである。どういう事情があるのかわからないが、スーパーとは、そういうものなのかも知れない。

 

 本日の地元テレビのニュースで、当社のボランティアクリーニングが取り上げられた。突然のことだったので、誰も見なかった。ちょっと残念である。

 当社が行っている試みについては、たまにマスコミに取り上げられることもあったが、今回が一番大きい。

 自画自賛というわけではないが、当社がマスコミに取り上げられる大きな理由は、当社が偉いのではなく、クリーニング業界全体が総じて社会福祉に無関心であることがある。地域密着の仕事でありながら、他の会社があまりにも何もやらないので、当社が目立ってしまうのだ。

ちょっと悲しい言い方だが、レベルが全体的に低いので、別に偉くもない当社が持ち上げられるのである。他の業界ではかなり当たり前のことが、当業界にはないのだ。

 

郵便や宅配便が復活したので、注文したDVDとかが家に届いていた。頼んだのは「トリフィドの日、人類SOS」、「人類危機一髪!巨大 怪鳥の爪」、「大海獣ビヒモス」、「巨人ゴーレム」の4つ。いずれもまだ見ていない特撮SFだが、外に出る機会もない今、こういうのでも見てみようという ことで購入した昔の映画である。50年以上前の映画ばかりで、値段は安く、一つ1000円くらいである。

 こういう映画の特徴として、放射能の被害を扱っているものも見られる。特撮映画の定番は放射能なのだ。50年以上も前からそういうことを言っていた。しかし、実際に被害に遭うとは思っていなかった。

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 午後9時半になり、前にお世話になったフリーライターのYさんが突然やってきた。西那須野まで新幹線で来て、そこからレンタカーを借りてきたのだという。早速、須賀川市の取材&飲み会が始まった。もっとも、Yさんはこの後福島市に宿泊とのことで、ウーロン茶で付き合ってもらった。

 市内の惨状に驚いている。地震被害だけでこれだけひどいのだ。横田さんはあちこち写真を撮る。このところ、全然姿を見せない玄葉光一郎関連の場所を巡る。須賀川市は玄葉議員の重要な票田だ。事務所は黄色い紙が貼られ、要注意である。玄葉議員のお母さんが出身のホテルは「危険」の赤紙が貼られている。そういうところを横田さんは熱心に取材していった。

 

 一昨日、満杯で入れなかった焼鳥屋に、かろうじて入ることができた。本日もほぼ満杯で、カウンター席が2つ空いているだけだった。焼き鳥などを食いながら、この街の現状を語る。ここの場合、地震被害だけでかなりのものなのに、そこへ原発の放射能問題が起こっている。しかし現在は、放射能問題をさておき、街の復旧に必死である。Yさんは、玄葉光一郎議員、佐藤栄佐久前知事、荒井広幸のことを聞いてきた。いずれも私と同じ高校出身、玄葉氏も荒井氏も国会議員なら、もう少し故郷の、この危機を考えて欲しい。さっぱり出てこない気がするが、何をしているのだろうか?

 この後、ほとんど崩れそうな状況でありながら営業している飲み屋に行った。若いホステスが、地域再建へ向ける想いをこっちがビックリするくらい熱く語り、Yさんはメモを走らせていた。この様な状況では人びとのストレスが高まるばかりである。だから私たちが、みんなの癒しになれればいい、と語っていた。Yさんは、「それでは原発の近くで働く東電社員のために出張してみて は・・・」と遠大な計画を語った。また、郡山選出で、千葉県でキャバ嬢を経験しているO議員との対談を実現したいと言っていた。思わぬ展開に、こっちが目を丸くしていた。

 

 

4月9日

 

 一昨日の大きな余震以来、あまり大きなのは来ていないが、それでも、いつも揺れているような気がする。揺れていないのに揺れている様に感じる病気があるというので、従業員に「今、揺れているか?」と確認すると、やはり揺れているという。わずかだが、ずっと揺れっぱなしということだ。困ったものである。

 

 アメリカ政府が先に発表していた「半径80キロ以内は避難」という勧告は、「悪い過程に基づく判断」だったということで、日本政府の出した「半径30キロ」は適切だったという発表があった。

【ワシントン=山田哲朗】米政府が3月16日に在日米国人向けに発した福島第一原発の半径50マイル(約80キロ・メートル)からの避難勧告は、原発の状態をより悪く見積もった仮定に基づく判断だったことがわかった。米メディアが7日、報じた。
 報道によると、米原子力規制委員会(NRC)の安全責任者ランディ・サリバン氏は7日に開かれたNRCの諮問委員会で、情報不足のため原 子炉の状態が把握できず、「2号機の炉心が100%損傷して16時間にわたって放射性物質の放出が続く」という場合を想定し、避難範囲を計算したことを明 らかにした。原発での測定データは使わなかった。
 米国の広い避難範囲は、20キロ・メートルとした日本政府の判断と食い違ったため、日米両国で議論を呼んだ。このため、ヤツコNRC委員 長も3月30日、米上院歳出委員会エネルギー・水資源開発小委員会で、「限られた情報に基づく、慎重で保守的な決定だった」と説明、「現在のデータは、安 全な距離は20マイル(約32キロ・メートル)と示している」と証言、日本の判断は妥当との考えを表明している。

 これは、私たち須賀川市民や郡山市民にとっては、かなりの朗報だ。80キロでは、私たちの街も危険ということ(須賀川市は原発から55~60キロくらい)になってしまうからである。

 東電は嘘を付いているのでは、という不安が少なからずあり、心配していたのは私だけでないと思う。アメリカだから信頼できる、ということはないが、二つの所から安全、と言われれば、多少は落ち着きもする。もし80キロ以内が全部避難ということになれば、福島市、郡山市、須賀川市、白河市、いわき市、相馬市も該当し、150万人以上が避難となり、福島県は壊滅してしまうだろう。私たちも、故郷を失うという事態だけは避けたい。それだけに、そういってもらえるのは嬉しい。そういうのを待っていたともいえるだろう。まあ、それだけ東電は信用できないということだが・・・。

 

 ロック歌手の斉藤和義が、自分のヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌を歌っている映像がユーチューブに流れている。題して「ずっとウソだったんだぜ」。本人が作詞したのではないみたいだが、しっかり本人によって歌われ、演奏されている。

 これについて、音楽好きな滋賀の同業者がコメントを書いている。

 

ホント嘘だったんです。
原子力は安全って私も思ってました。
万が一地震があっても制御棒が下がって自然に停止するって信じ込まされていました。
しかし、ホントはそうじゃなかったのです。
停電したら原発自身では安全な方向にはどうにも制御できなかったのです。
クリーニング屋が使うプレス機だって停電したり、圧縮空気が外れたら上がる設計になっています。これが当たり前。
停電しただけでもう暴走なんて・・・・
どうでも設計できたハズです。
例えば内部温度が上昇したら自身の熱で外部のタンクと対流して(無動力で)冷却が完了する仕組みだって考えられるはず。
きっとこういう仕組みにしたらものすごい大掛かりなタンクや配管が必要なんでしょうね。そうしない理由は建築コストでしょう。
なんて周辺住民の命や自然の値段は安いのでしょう。
原子力っていうパワーを自分達の知恵でコントロールできると信じていた頭の良い人達はコスト計算もしっかりするんです。
ホントに安全なら送電ロスが最小の東京都内に原電誘致しろ。

 

 この方は業界のご意見番的な存在だが、原発のずさんな管理体制と危機管理のなさを、クリーニングの機械に例えて批判している点はさすがである。

 

4月10日(日)

 

 地震が起こったのは3月11日なので、これで一ヶ月が過ぎた。今日は新幹線が明後日開通するというニュースが届いた。14日に全国クリーニング協議会常務理事会があるので、間に合ったわけだ。私は到底間に合わないと思い。ここから高速道路で大宮に行き、そこから埼京線か京浜東北線で向かおうかと考えていた。ただ、ダイヤが元通り復旧しているとは思われず、現時点では、まだどのような方法で行くかはわからない。

 本日は一日家から出なかった。変に疲れやすい。緊張が解けたからなのか、よくわからない。二階の書斎にいることが多かったが、微妙な揺れを何度も感じた。さっぱり落ち着かない毎日である。

 

石原知事

 夜に大変残念なニュースが入ってきた。石原慎太郎が東京都知事に再選されたのである。

 石原知事は原子力発電所推進派。「他に代わるエネルギーがないから」というのがその主張だが、「だから、福島県民が犠牲になっても良い」という理屈は成り立たないと思う。

 石原の再選により、今後、原発問題はどのようになっていくのだろうか?東国原とか、ワタミ社長は、まだ原発には反対していたから良かった。

 

4月11日(月)

 

 朝は6時40分頃に来た余震によって起こされた。不思議なことに、朝方地震が起こる場合が多い。余震がモーニングコールだなんて、冗談ではない。

 朝から大工さんが近所で仕事をしている音が聞こえる。この地震により、土木建築業者は大忙しだ。冠婚葬祭業者、石屋さん(お墓の修繕のため)も予約待ちらしい。

 

 地震から一ヶ月が過ぎた本日は、ネットの嫌なニュースから始まった。原発から20キロ圏外以降でも、避難勧告される場合があるというのだ。

 津波で家を失った人々がやむなく故郷を去らざるを得なくなるのは全く気の毒ではあるが、地震被害から立ち直ろうと努力しているのに、「人災」によって故郷が奪われるのは絶対にイヤだ。

 

本日11日は地震発生からちょうど一ヶ月だが、なぜかやたら余震が多い。ネットで見ていても、15時の時点で昨日一日の4倍近く起こっている。何だか常に揺れている感じだ。

 

お昼にスーパーに行った。ここはホームセンターの脇に中規模のスーパーを作ったところだが、現在は地震でスーパー部分の入り口が壊れ、ホームセンターから入るようになっている。レジもホームセンター部分のものしか使えない。

ここでも、野菜はみんな産地表示がされており、福島産を見つけるのはかなり難しい。しかし、トマトを見ていたら、ようやく一パックだけ見つけた。他の産地がいっぱいあるのに、福島産は一つだけだった。何だかかわいそうみたいに見えたので、買ってきてしまった。

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これはどのように考えればいいのだろうか?どうせ売れないから最初から少ししか置かなかったのだろうか?それとも、義憤を感じた福島県民が福島産ばかり買っていき、他の産地の品が余っていたのだろうか?真相はわからない。

昨日は、カゴメとデルモンテのケチャップ大手二社(変な表現だが)が、福島産のトマトは使用しないと表明したばかり。トマトが気の毒である。

 

 地震が起こったとき、私の書斎では、壁側一面に設置された本棚などから本やCD、DVDがほぼ全てふるい落とされ、床に落ちてかき回された。家に帰ってきたとき、この本によって書斎のドアを開けることができなかった。このままでは本の重みで家が壊れることも考え、大半のものを、となりの元工場(物置みたいなもの)に運んだ。

 このため、必要な本がすぐ手に届くところにない。隣からチビリチビリ運んでいるのだが、以前の様な状態ではない。私は主に書斎で文章を書くので、これは打撃である。といってまた本の全てを元に戻すわけにもいかないのだ。

 

大きな余震

 夕方、5時を過ぎてまだ営業部長と話をしていたところ、いきなりグラグラと揺れだし、これはかなりのものだとなった。営業部長は前回ぶっ倒れた書類棚の前に立ち、必死で抑えた。私も自分の机近くの本棚を支えていた。

 テレビを付けたらマグニチュード7.0。大きいわけである。会社のCDケースから、CDが飛び出していた。

 自宅に帰り、こういうときに一番不安な書斎へ行ったが、やはり本が落ちていた。しかし、前回のようなすさまじい落ち方ではなく、全体の2割程度だった。震度6強と5強では、これだけ違うのだ。すぐに片づけたが、CDのケースはかなり破損していた。

 夜になってからも、また震度5弱が一度あった。とにかくずっと揺れっぱなし。ネットで調べたら、現時点で地震は77回!ギネスに載るんじゃないだろうか?

 あんまり地震が多いので、いろんな方面からお見舞いの品とか電話をいただいた。2008年にコンサートを行ったアリス・紗良・オットさんからはコーヒーなどを送っていただいた。すっかり有名になったのに、こっちのことを忘れてないのは嬉しい。

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(このときはこの程度だった)

 うちでは猫を飼っているが、3月11日にはしばらく行方不明になり、夜中に出てきた。タンスの影で脅えていたのだ。しばらくはトイレにも行かず、えさも食べなかった。今日も大きな地震で、しばらくどこかに隠れていた。午後10時頃になり、やっと出てきた。大きい地震があると、人間も頼りになるものとは思わず、全てが不安に思えるのだろうか?

 まあとにかく、今日のようにやたらと地震の多い日は不安で仕方がない。いい加減にして欲しい。新幹線が回復するとのことで、木曜日に出張を考えていたが(業界の会合がある)、これでは怖くてどこにも行けない。

 福島県に地震があると、いつでも原発が不安になる。今回もテレビでは早速東電の会見が放送されていたが、電源が切れたものの、すぐに回復したといわれ、安心した。福島県民にとっては、地震被害の他に、原発のことまで心配しなければならないのだ。

 本日、計画避難を言われた飯舘村の経営者が、「地域に密着してやってきた。退去すれば信頼を失い、廃業になってしまう。逃げることはできない」と涙を浮かべた、というニュースをネットで読んだ。全く同感である。どのようにしても、離れることはできない。おそらく、この地域の他の会社も同じだろう。

 

4月12日(火)

 

 本日も朝の余震から始まった。今朝から震度5弱。夜も何度か震度4があり、家族が寝不足である。昨日から急に地震が活発になった。

 

 今日はお昼前に郡山工場へ行き、おでんを作った。本社ではこういうことが多いが、郡山工場では初めて。大きい鍋を持って行ったものの、おたまとか菜箸とかいろいろなかった。包丁はあったので、新聞紙をまな板代わりにして大根などを切った。しかし、時間の関係で作るだけ作り、自分は全然食べないで帰ってきた。大根が時間までに煮えたかどうかが気になる。

 豚汁や鍋と比べ、おでんは汁を作って材料を入れるだけだから簡単。反面、材料費はかかる。今回も、放射能よけ(?)に昆布を多めに入れた。

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 自宅の隣アパートの壁が地震で崩れ、こちら側に落ちてきた(こっちの敷地の方が低いので)。アパートの持ち主は直すと言ってくれたが、こういう時期なので大工さんもなかなか来てくれない。「後でもいいですよ。仕方ないものね。」と私は伝えた。

 本社工場の壁にヒビが入ったらしい。こちらからは見えないが、隣のアパートからは見えるらしい。こっちでは、アパートの所有者が当社の店舗に来て、「早く直せ」と言ってきた。私に直接会わず、店員に言ったそうだ。

 ここは用途地域でいう工業地なので(準工業地)、アパートを作るのもどうかと思うが、工業地は土地自体は安い。隣の地主はこういうところにアパートをバンバン立て、若い夫婦などに貸している。この辺は昔、農地だったので、地主は大儲けだ。こういう人が地方にはたくさんいるのだが、だいたい強欲で、金銭にはせこい。

 アパートを建てるときには、何の断りもなく、いきなり工事を始めている。地震があると、いろんなことがあるものである。

 

 昼の二時頃にも、また震度5があった。その時私は自宅で遅い昼食の最中だった。昨日の余震により、長女は高校が休み、長男はまだ春休み中(いつもより長い)。学校の次女や買い物の妻はいなかったが、揺れ始めると3人で表に避難した。もう、逃げ方も堂に入っている。

 本日こそ過去最高値まで伸びた髪の毛をカットしようと思っていたのだが、これで行けなくなった。地震が来ると、不思議と理容店に行く気がしなくなる。震度5では世の中の機能が止まっている気がするのである。

 一日に何回も震度5が来るようでは、もはやどこにも行くことが出来ない。木曜に復活した新幹線によって東京の会合に出席する予定だったが、それもキャンセルせざるを得ない。それに、大きな揺れの後には原発が心配で、必ずテレビにチェックを入れる有様だ。昨日は給水がストップしている。

 こんな生活、いつまで続くのだろうか?地震だけでも十分大きな問題だ。

 

 先週は、滋賀の同業者がペットボトルの水をたくさん持ってきてくれるという支援があったが(しかも、一人一本しか変えない状況で、パートさんを何度も並ばせて買うという涙ぐましい努力をされた)、本日は、クリーニングに付けるタグのメーカーから電話が来て、「これから行くから欲しいものがあったら買っていく」と言われた。幸いこちらではそういう心配はないが、ご心配に感謝 申し上げたい。

 おそらく、東京など都会からは、東北の被災地がみんな同じように思えるのかも知れない。実際にはかなり各地で差があり、この辺は物資に問題はほとんどなくなったものの、余震と、原発が心配なのである。こればっかりは、支援していただくことができない。

 また揺れだした。震度3くらいだろうか?当たり前になった。

 

 本日は事故のレベルが7になり、チェルノブイリと同格になったという。

 私はこういうわけのわからない「格付け」には全く賛同しかねる。地震の前にはスタンダード&プアーズなる会社?により、日本の格付けが下がったというのが話題になり、国会でも取り上げられた。

 自民党議員が「格付けが下がったじゃないか!」と政権を批判したが、菅首相は、「格付けで良い評価をもらった会社が、翌年倒産した事例もある(要するにそんなものはアテにならない)」と反論した。

 クリーニング業界で、不正行為で発展したRという会社がこのスタンダード&プアーズから良い評価をもらったことで、私は「なんだ、この会社は不正行為も評価するのか!」と呆れたものである。このときだけは菅首相はなかなか言うなあ、と感心した。

 人類で3回しか起きていないものを、なんでレベル5とか6とか評価できるのだろう?原発事故は通信簿で評価するのか?被害を受けているこっちからすれば、冗談ではない。人ごとみたいに言うな!(この件について後で識者に聞いてみたが、S&Pは銀行の情報をそのまま鵜呑みにするので、銀行べったりの企業はいい評価を受けるとのこと)

 

さて、身近で原発事故が実際に起こった私は、原発事故について、自身の体験をふまえ、この様に考える。

もし原発事故が起こったら、その県はどうなる・・・?

 

1,農作物が汚染され、誰も買ってくれなくなり、農業が壊滅する。

2,海が汚染され、あらゆる海産物が汚染され、漁業が壊滅する。

3,工業製品も放射能汚染を調べられ、国内外に売れなくなり、製造業が衰退する。

4,鉄くずのような廃棄物でも、他の県には売れなくなる

5,誰も来なくなるので、温泉や景勝地など観光産業は壊滅する

6,汚染を恐れ、特に雨の日など、みんな外出しなくなる

7,子供達は海水浴にも遊園地にも行けず、家にこもるだけになる

8,放射能汚染を恐れてそこを去る人が増え、人口が激減する

9,6と8の理由により、ものが売れなくなる

10,6と7と8の理由により、サービス業も壊滅的に衰退する

11,8の理由により、工場など製造業の雇用が立ちゆかなくなる。

12,結果、あらゆる地域産業がすべて壊滅し、原発誘致地域は死の街になる。

13,その後も汚染は続くので、半永久的に死の街になる。

14,他地域への避難者も風評被害が広がり、宿泊拒否など、差別される。

15,人と接する機会が減り、うつ病などの精神的疾患が増える(カウンセラーの話)

16,汚染のない他の地域にも自粛ムードが起こり、国全体の景気は悪化する

17,将来、放射能汚染の影響が子供達に出る可能性がある

 

全てを失う覚悟がないと、原発は誘致できないのだ。

 

4月13日(水)

 

 昨晩は大きな地震というのはなかったが、何となく一晩中揺れていたような気がする。熟睡できず、寝不足になってしまう。

 出勤し、明日東京で行われる業界の会合に欠席する旨を連絡した。こう余震が多くては、安心して家を離れられない。昨年は週に2回はどこかのホテルで寝るほど出張が多い私なのだが、当たり前だが3月11日以降は全く出張がない。交通の便が悪くなっていることも原因だが、会合そのものが中止になっている場合が多い。明日は久々の会合だったのだ。

 私はこの団体で編集委員長なので、私の代わりに月間報告をしてもらおうと群馬の業者にお願いしたが、この人も明日は欠席とのこと。電車の便がいまだに不安定で、なかなか東京まで行けないのだという。結局川崎の業者にお願いした。

 午前中もやや大きな地震が一度だけあった。

 

 お昼にいつも行っている理容店に行き、待望のカットをしてもらった。伸び放題だった頭もこれでスッキリした。

 店の主人は、新潟の実家に子供達(小学生)を預けている。この一家で は放射能を危険とみなし、今後しばらく子供達を新潟に置くのだという。当面、向こうの小学校に通うのだが、新潟県では避難民として教科書、文房具などを無 料配布してくれるそうだ。厚遇は素晴らしいが、そういう子供達が結構日本中にいるのだろうか?

 

決死のダンゴ屋さん

 須賀川市の街中に老舗のダンゴ屋さんがあり、昔から人気があったが、この度の地震では建物に大きなダメージがあり、建築事務所より「危険」の赤紙を貼られてしまっていた。須賀川市民は、桜の木の下でここのダンゴを食べるというのが定番になっている。しかし、この地震でダメージを受け、今年の営業は難しいだろう。

 娘が下校時にそこの前を歩いて帰ってきたが、なんと、営業していたという。赤紙でも営業していいのだろうか?確かに、もうすぐ桜の花が咲き、今が一番の稼ぎ時なのだが・・・。店は大丈夫なのだろうか?

 商工会議所に電話して聞いてみたら、あの赤紙「危険」、黄紙「要注意」等は、通り沿いの建物だけに貼られ、道路を通行する人に注意を促すものであり、営業中止とか、そこに住んではダメとかの意味ではないという。ちょっと安心した。危険を顧みず営業するダンゴ屋さん、というわけではなかった(安全だというわけでもないが)。何だか嬉しい。

 

原発と耐震偽装

 ふと思い出した。須賀川市では主に鉄筋の建物の損傷がひどく、大きい製造工場、建設会社、旧書店などが倒壊、市役所庁、須賀川信用金庫本社、須賀川税務署、街中の三つのホテルなどが現在、使用できない状態になっており、多くは取り壊す予定になっている。役所とか、銀行の建物ですらこの有様だ。

 2005年に「構造計算書偽造問題」、いわゆる耐震偽装問題という事件が起こった。建築士が、次々とコストを下げるために建築資材を少なくして建物を建てていった問題である。変な名前の建築士が話題となり、明らかにその人物が建設に関わった建物は建て直しなどの措置が取られたものの、「こういうこと(計算書偽造)をしたのはあの人だけではない。あれは氷山の一角」という声をかなり聞いている。実は、建築資材をちょろまかされた、ヤワな建物が街中にあふれているというのだ。

 この話が本当なら、関東地方のかなりの建物が、今回のような大きな地震が来た場合、一斉に倒壊する恐れがある。ぞっとするような話だが、明日起こる現実かも知れない。

 この事件は、もし掘り起こしていけばこれに類する物件が日本中にいくらでも出てくる可能性が高いことから、変な名前の建築士をスケープゴートにし、無理矢理収束させたような気がする。

 クリーニング業界の建築基準法問題も、これと全く同じような印象だ。明けてみたらものすごい数の違反者がいたので、政治家の先生も「クリーニング屋さんがかわいそうだ」といっているし、面倒くさい、もう、全部許しましょうというテキトーな行政判断である。

 原発も建造物の構造計画書もクリーニングの建築基準法も、みんないつかは地震災害が来るから備えておきましょう、という問題でしょう。それを、行政が面倒くさいとか政治家が支援者に不正業者がいるとかの理由で、お役所仕事で終わらせられたのではたまらない。クリーニングの場合は、明らかに役所の怠慢と政治家の口利きが原因である。もし原発がお役所仕事でああいうずさんな状 況になっていたのだとしたら、私は「お役所仕事」でダメになったということになる。それは悲しい。

 

ずっと住めない(by菅首相)

 本日は菅首相が、原発周辺地域について、「そこに当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」との認識を示した。という。

 何度か書いているが、あちこち移動する公務員や会社員は別として、その地域で長く生活している人びとにとって、故郷に帰れなくなるのは、非常につらいことなのだ。先日、ボランティアクリーニングをやった際、富岡町の方の話を聞いて、力が抜けるくらい大変なのだと思った。それを、人の気持ちも考えず、「そこには当面住めないだろう」などと、平気でいう奴の気が知れない。その辺の人の戯言ならともかく、日本の首相が、である。

 おそらく、日本の大半の住民は、あちこち移動するのではなく、そこか ら離れず、ずっとそこで過ごしているのだろう。それを、「当面住めないだろう」といわれた人の気持ちになって欲しい。地震は天災だが原発事故は人災だ。責 任はどこかの人間にある。「当面住めない」は事実であったとしても、責任は自分たちにあるのだから、少し言い方を考えて欲しかったものだ。

 かなり頭に来ている。前に、「原発事故があり、初めて沖縄の人の気持ちがわかった。日本の安全のために、米軍基地を置かれる沖縄の住民と、東京のエネルギーのために、原発を近くに置かれる福島県民の気持ちは似ている」と書いたが、「チェチェンの人の気持ちがよくわかる」、「イラクの人々の気持ちがよくわかる」に発展させないで欲しい。ジャスミン革命というのがあったが、日本にも「民主化」を求めたい。現状は、「民主化」していないでしょう?

 

キングコング対ゴジラ

 夜になり、古いDVDを探していたら、昭和37年の映画、「キングコング対ゴジラ」が出てきた。地震のちょっと後に「モスラ対ゴジラ」を見たが、この作品はゴジラシリーズとしては一つ前のものである。

 アメリカのモンスター、キングコングと、日本の怪獣、ゴジラとの対決で、当時は怪獣の日米対決として大きな話題となった。須賀川市出身の特撮監督・円谷英二は、この頂上対決を周囲の反対にもめげず、当時大流行のプロレス活劇として表現し、賛否両論を呼んでいる。この映画について語り始めたらきりがないが、改めて見てみると、北極海から登場し、日本へ向かって南下するゴジラ について、劇中の新聞は「放射能に決め手なし」という見出しを入れている。

 この映画は昭和37年、1962年だから、結局人類は約50年間、「放射能に決め手なし」 なのである。怪獣映画では、しばしば映画の中の事件を現実には存在しない架空の新聞が報じるが、映画の中での「関東新報」は、50年も続く現実を見事に予言し、当時はワクワクして見ていたこの映画の中の新聞紙面は、現在では夢も希望もない我が身に迫る脅威になっているのである。あーあ・・・。

 

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4月14日(木)

 

 今朝は大きい地震がなかったものの、震度3があり、緊急地震速報も鳴った。

最近、ワープロのページ3ページ分(3000字くらい)、毎日この地震日記を書いている。一日1ページくらいにしておきたいが、とにか く出張も会合もないし、家にいるだけなので、文章が長くなってしまう。新幹線も復旧し(ただし、余震でよく止まり、時間の保証はない)、高速道路も使える ようになった。ロータリークラブなど予定がだんだん入ってきているので、今後は徐々に短くなっていくかも知れない。

 

 この地震によって、みんな音に敏感になっていると思う。家にいるとき、タンスがミシッというと、家族も猫も一斉にそっちの方を向く。地震が始まったのかと思うからだ。

 冷蔵庫が氷を作っている音でもびくっとする。

 今日は朝方、携帯電話の緊急地震速報が遠くで鳴っているように感じられた。あわててよく聞いてみると、カラスの鳴き声だった。とにかく余震にビクビクしている。本震の後、震度5以上が6,7回来ているので、そうなってしまうのだ。

 

 夕方、福島テレビでまたボランティアクリーニングが紹介された。これはマスコミ受けするのだろうか?営業部長に出てもらった。

 実は昨日からこの話があったのだが、何度も自分が出るのも変なので、どうしようかと思っていたところ、朝、私に来客があり、営業部長が福島テレビスタッフを相手にするような形になったのである。いい感じで映っていて良かったと思う。

 

社会福祉をしないクリーニング業界

 今回の地震は、青森県から茨城県にわたる大変広範囲な被災があった。これら被災地には数多くの同業者がある。そこで、当社のような避難民へのボランティアをする業者が他に出てきても良さそうなものである。

 今回、当社の行動は新聞やテレビで何度も紹介されたので、他の業者も触発され、ボランティアクリーニングを始めるところがあるかも知れない。日頃、クリーニング業界のモノマネにはウンザリさせられているが、これはぜひ各地の業者にマネしてもらいたいものだ。実際、どこでも避難民は衣類の洗濯にかなり困っている。多くの業者がやれば、みんな大助かりのはずだ。

 ただ、公共福祉、ボランティアという行動については、この業界の人々は不思議なくらい無関心である。クリーニングは誰でも利用する当たり前の商売なので、社会協力はかなり普通だと思うが、なぜか「ただ(無料)の仕事」になると、みんな無視してかかる。印象としては、意地になってやらない、という感じである。何か、クリーニング業者は社会に対して恨みでもあるのだろう か・・・と思えるくらいだ。

 

 ボランティアについては、当社で毎年やるようになったのは、私が社長になってからだと思う。クリーニングは繁忙期と閑散期の差が激しいので、閑散期を利用すれば、社会的に恵まれない人のクリーニングなどは簡単にできると考えたのである。結果は上々で、関係者には喜ばれるし、会社にほとんど負担がないので、10年以上続いている。従業員には会社の社会的役割についてよく説明したが、昔はまだ在籍していた古い職人などからは、金にならないと不満もあった。しかし、おおむね従業員にも定着し、今では当たり前の活動になっている。

 私は業界団体を通じ、皆さんもやってみては・・・と他社にも勧めてみたが、どこも賛同しなかった。大手業者の中でも比較的良心的な業者の集まっている全協でも常務理事会で提案したが、賛同者がいない。クリーニング業者は、信じられないくらい社会性がない。

 今回についても、あんな津波を逃れて不自由な避難所暮らしをしているのなら、きっと洗濯物とか困っているのだろうな、という単純な動機から始めたものである。他の人がやらないのは不思議だ。

 おそらく、避難所暮らしはまだ続くのかも知れない。もうちょっと動けるようになったら、こんなときだし、改めて他業者もやるように勧めてみたいと思う。岩手当たりは良心的な業者も多いので、のってくれるかも知れない。

(注:後に、いわき市のタチハナクリーニングが熱心な活動をしていたことがわかった)

 

4月15日

 

 今週になり、いつもより遅くプロ野球が開幕したが、一部の試合はウィークデーにもかかわらず、昼間に試合をしている。これも電力不足の影響らしい。

 しかし、いつも弱い横浜ベイスターズが強くなっている。本日は午後からパソコン備え付けのために自宅にいたため、たまたまそのデーゲームを見たが、何だか魂を入れ替えられたみたいに各選手が張り切っている。現在まで4試合で3勝1敗。全部昼間の試合だ。デーゲームに強いのだろうか?「節電優勝」なんてことになったらすごい。

 私が横浜ベイスターズのファンなのは、小学生の頃から。父親が前身である大洋ホエールズを応援していたので、自然とそうなった。なぜそうかといえば、昔のクリーニング業者は鯨から捕れる鯨油を原料とした洗剤を使用し、それを大洋ホエールズのスポンサーであった企業が販売していたため。洗剤業者によると、鯨油は臭いがきついが、洗浄力は抜群とのことだった。今はそんなもの、手に入らないが・・・。横浜ベイスターズの試合は、熱狂的ファンではないが、チラチラ見ている。

 東北地方は、ほとんどがジャイアンツの支援者だった。昔はテレビでそれしかやっていなかったからである。だから私は小学校の頃、周りから白い目で見られた。「何で大洋を応援するんだ!」と・・。今でもそういう傾向(ジャイアンツのファン)は強いと思う。こっちで試合してくれたら喜ばれるだろうが、どうだろうか?

 

 自宅のパソコン、自分のではなく家族用のを取り替えた。理由は、遅くなったということである。ちゃんと使えばまだまだ大丈夫のように感じるが・・・。子供達がずっとパソコンの前にへばりついて、ユーチューブとかを見ている。これは、みんな外に出なくなったからである。

 大っぴらに放射能を怖がっている人は周りに目立たないけれど、とにかくみんな外出はしなくなっている。そうなると、いろいろな情報の入るパソコンが、子供にとって最大の遊び道具になっているのだ。

 一番下の子も今月で中学2年になり、うちに小学生はいなくなったが、私や子供達の母校である須賀川第一小学校は地震で校舎が使えない状態になり、行くことはできない。須賀川第二小学校と、須賀川第一中学校に分かれて校舎を借りながら勉強しているそうだ。子供には貴重な経験といえるかも知れないが、ますます子供達が家にいることが多くなるだろう。

 

 4月5日から7日にかけ、テレビ局のスタッフがやってきて、当社のボランティアクリーニングや日本初?のコインランドリー無料開放の映像を撮影していったが、その放送が来週月曜日と決まったようだ。電話で連絡があった。

 ところが、その放送が、なんと地元の福島県でやらないみたいなのだ。その時間帯は福島県の放送をするので、他の地域だけの放送になる可能性が高いといわれた。

 これで宣伝しようなんて思っていないが、ガッカリだ。そういう融通って利かないのだろうか?テレビというメディアは、意外と遅れている。

 

 上京がままならず、出張できないが(まあ、こういう情勢なので会合自体も少ないが)、私が担当する業界団体の機関誌は毎月発行しなければならない。そこで今日は、載せる文章を書いていた。

 題して、「クリーニング業界紙は提灯記事を止めよ」!建築基準法問題同様、クリーニング業界のタブーに挑んでみよう。さあ、どんな反響が出るか楽しみだ。もっとも、差し止めになる可能性が強いが・・・。クリーニング業界には三つの業界紙があるが、それをすべて登場させる内容である。

 

悪魔の火、炊いたの誰だ!

 こっちも外出の機会が極端に減ったので、昔の映画を見ることが多く、放射能絡まり?で怪獣映画をよく見る。これは、地震によって本棚の奥に眠っていたビデオとかが飛び出してきたりしたことも原因の一つである。

 映画「モスラ」では、大国が無人島で水爆実験を行ったものの、実はそこに原住民がいた、というところから始まる。原住民達は原水爆実験を続ける文明社会に激しい憎悪をむき出すものの、不思議な力で放射能の難を逃れる。昔の怪獣映画はみんな原水爆実験、放射能が関連する。この映画でデビューした怪獣モスラはその後、「モスラ対ゴジラ」という映画に再登場する。

 この「モスラ対ゴジラ」では、日本で暴れるゴジラを征伐しようと、新聞記者らが水爆実験の行われたインファント島に行き、モスラの力を貸して欲しいと懇願する場面があるが、自らも放射能の被害者である島の酋長は、文明国が原水爆実験を繰り返す現実を批判し、「悪魔の火、炊いたの誰だ!」と憤る。

 これって、福島県民みたいじゃないか!インファント島の原住民のように、東電に向かって「悪魔の火、炊いたの誰だ!」と言ってやりたい。この映画の時点で福島県に原発はなかったので、その後、本当に一万年も冷めない「悪魔の火」を炊かれてしまった様だ。

 私は特撮映画の文献を数多く所持し、その中にはとても現実的でないものもある。例えば、「東宝の怪獣映画は、登場した怪獣に立ち向かいのは必ず日本の自衛隊である。これは、日本人に自衛隊の正当性を認めさせようというプロパガンダである」とか・・・。しかしその主張に沿った発想をするなら、そもそも怪獣映画というのは、放射能を帯びた怪獣が次々登場し、放射能で巨大化した り超能力を発揮する怪物を登場させることにより、原子力発電や、放射能を民間に「安全ですよ!」となじませようとした国策映画なのかとも思えるくらいだ。 放射能で変異した怪獣が暴れる映画を量産したのは、日本とアメリカのみである。

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(「悪魔の火、もてあそんだ報いだ!」と怒るインファント島酋長)

 午後11時半頃、久々に緊急地震速報が鳴った。しかし、揺れはわずかなものだった。

 だんだん余震が減り、この調子でいって欲しいと願いばかりだが、3月 11日に始まった大地震は、その後、数々の余震を繰り返しつつも収束するものと思われたが、地震が起こってからちょうど一ヶ月目の4月11日、震度5以上 のが3つもあり、翌日にもどの規模のが二つ来ている。

 全く油断はできないが、本日は強い地震はなかった。このまま収束して欲しいものである。線香花火というのがあるが、あれは最後にちょっと輝いて終わる。11,12日の余震が、そうあって欲しい。

 

避難所の洗濯

 昨日は、これまで同業者に賛同を得られなかったボランティアクリーニングを、他の業者に勧め、こういうときこそ地域の役に立つべきだといおうと思っていたが、本日のニュースにこういうのがあった。

16避難所「風呂入れず」=洗濯できない151カ所-厳しい生活浮き彫り・政府調査4月15日(金)21時46分配信 

政府は15日、東日本大震災の各避難所の責任者らへの調査結果を発表した。回答した323カ所のうち、5.0%に当たる16カ所の避難所で震災発生から約1カ月間、全く入浴できていないことが分かった。調査に応じた避難所は30.9%で、政府は「沿岸部の被害の大きい市町村では回答がなく、状況はもっと悪いだろう」(関係者)と分析している。
 調査は6日から10日までの間、岩手、宮城、福島3県の全避難所(12日現在で1047カ所)を対象に、県や市町村を通じて被災者の生活状況などを責任者らに文書で回答してもらった。
 それによると、入浴は「週に数回以上できる」が62.2%、「週に1回程度」が32.8%。食事は、温かい物を毎日食べられる所が約6割だったのに対し、おにぎりやパンなどはあるものの、温かい食事がまったく提供されない避難所も7カ所あった。替えの下着についても、全くないか、あっても洗濯できていない所が計151カ所。間仕切りなどがなくプライバシーが保てない所は91カ所など、多くの避難所で厳しい生活を強いられている実態が浮き彫りになった。
 内閣府の被災者生活支援特別対策本部は「環境の改善が必要な避難所への支援強化を県、市町村に要請する」としており、回答のなかった約7割の避難所についても実態把握を急ぐ考えだ。 

 これは本気で取り組まないといけない。こんな深刻な問題だとは思っていなかった。まずい!

 クリーニング業者として、できるだけのことはやりたい。マスコミに取り上げてもらったのは、そういう点ではラッキーだった。

 どこにも出かけなかったので、本日も長文になった。