浦島太郎の後裔(昭和21年)

浦島太郎の後裔

 

 戦後日本に進駐してきた占領軍は、まずは国民の最大の娯楽である映画に目をつけ、厳しい検閲を加えることによって日本人の意識を改革しようとした。映画は当時、誰もが見るものだから、国民への影響が大きかったのである。従って終戦とともに、戦時中の日本軍の統制から一変、今度は進駐軍が映画を管理した。

 映画は軍国主義的なものは認められず、時代劇も日本的だとして禁止された。当時の映画人は時代劇は荒唐無稽なものとして反論したがそれも認められなかった。

 こういう時代、進駐軍に評価されたのは、政治の腐敗を暴くもの、民衆が立ち上がって支配層と戦うもの、リベラルな作風のものであった。円谷英二も関わった「東京五人男」は、東京へ復員してきた五人の男が腐敗したブルジョアや政治家を打ち破るというストーリーで、進駐軍を大いに喜ばせた。

 だが、日本の映画人たちはこの極端な方針の転換にはとまどい、中には怪しげな作品も登場した。本作もそういった混乱の時代を象徴するような怪作である。

 

 ある日、ラジオに突然絶叫する不思議なひげ面の男が出演、「アアーアー」と奇妙な声を上げて日本中を驚かす。この男は浦島五郎、浦島太郎の先祖と称し、やがては国会議事堂のてっぺんから絶叫して日本中の人気者となる。この人気につけ込んだある政党の政治家は、自分の政党からこの男を立候補させ、政党人気を煽る。

 しかしこの男の心は善意と悪意に分かれて葛藤する。有名人だからといって政党の人気者になっていいものだろうか。自由競争であるべき世の中で特別な英雄はいらない。最後には髭を剃ってあらわれ、この政党の偽善を暴くのである。

 

 この時代は進駐軍によって映画が検閲され、半ば強制的にリベラルな作品が製作された。しかしこの作品は、ただ叫ぶだけの男が英雄に祭り上げられて政治家になるという、まるで現代のタレント議員のさきがけのような存在である。派手なパフォーマンスが喜ばれ、民衆は大衆煽動に踊らされ、政党政治への皮肉のような内容となっている。こういう内容は現代では受けるかもしれないが、軍国主義を避け、できるだけ自由主義を謳歌するような作品をと進駐軍に後押しされていた時代に、むしろ選挙制度の矛盾をつくような内容の作品が登場したことは意外であったし、評判になることもなかったようだ。

 

 監督は巨匠・成瀬巳喜男。この巨匠の映画人生の中では、この作品はあまりいいものとは思えない。円谷英二との仕事は戦前の作品に二つくらいあるが、戦後はこの一本でおしまい。もっとも、家庭的な作風で知られる監督に派手な特撮は似合わないが・・・。

 

 円谷英二の特撮は、浦島五郎が思い悩むとき、善と悪の心になって幽霊のように半透明の姿となって現れる場面に用いられるほか、これは特撮とはいえないけれど、議事堂のてっぺんのセットも製作されている。いずれも円谷特撮の神髄を堪能するというレベルではなく、通常映画の雑用の域を出ない。ちなみに映画冒頭での紹介では「円谷英二」と、それまでの「円谷英一」ではなく紹介されている。この時期、クレジットが英一と英二でよく変わるが、戦争犯罪という事で動揺する円谷英二の気持ちのごとくという気もする。

 

 ターザンよろしく「アーアアー!」と絶叫するひげ面の藤田進。本来はいかめしい軍人や、自衛隊を率いて怪獣と闘うのが彼の役割である。藤田進の長い映画人生でも、これは困った作品ではないのか。なぜか我が家では家族全員がこの作品を鑑賞、子供たちは藤田進をまねて「アアアー」と叫んで大笑いし、妻には「今まで見た中で一番つまらない映画」と酷評されてしまった。英二氏の作品中、ほぼ記録に残る程度のレベル的な意味合いの強いこの作品を家族全員で見たのも変だが、意外と我が家では子供たちに大受けして盛り上がったという顛末でした。