閉鎖的なクリーニング業界

閉鎖的なクリーニング業界

クリーニング業者はなぜ外社会と交わらないのか

 

社会性のないクリーニング業界

 大変手前味噌な話題で恐縮だが、10月6日と15日、私はベルギー在住のヴァイオリニスト、ノエ・乾氏を招き、自社でコンサートを企画し、会津若松市と須賀川市でチャリティーコンサートを行った。ヨーロッパで様々なコンクールで優勝を果たし、大変な実力を秘めた芸術家の演奏はすさまじく、コンサートは両方とも成功裏に終了した。こういうコンサートを行うことで、地域社会 への貢献もさることながら、従業員のモチベーションを高めることができたのは、全く有意義だった。

 この様なコンサートを他の会社でもやってみては、と勧めているが、あまりいい返事を聞いたことがない。というよりも、同業者を見る限り、他の世界の出来事のように思われている様にも感じられる。まあ、コンサートのようなことは趣味の領域であり、経営者が音楽好きだったり、音楽業界とのコネクションがないと開催は難しいのかも知れない。

 また、私の会社では1月や2月の閑散期に、商圏にある障害者施設への無料クリーニングを実施している。閑散期なら工場に十分余裕があるので、障害者の方々の品を集めてもほとんど負担にならないからである。実際、障害のある人はそれなりの衣料品を所持していながら、自分でクリーニングを出すことができない場合が多いので、これもまた有意義であり、社会的行為であるとも思う。

 しかしながら、こういうボランティア事業も実施している同業者をほとんど聞いたことがない。誰でも簡単にできそうな話なのだが、誰もやらないのである。だいぶ昔に全協でもこういう事業をやってみてはと常務理事会に提案したことがあるが、否決されたことがある。これは非常に意外だった。先の口蹄疫問題ではタオルを大量に寄付した方がいたが、そういうことをもっと話題にして欲 しいものである。

 クリーニング業界は、他の業界で当たり前のように行われている社会事業やボランティアなどの活動をみかけることがほとんどない。この業界の人々が極端にケチで拝金主義という事はないと思うが、なぜか社会事業などを避けて通っているように思える。この点が私には大変不思議であり、不可解でもある。

 

業界内グループで行動するクリーニング業者

 クリーニング業者は、なぜ一般社会で見られるような社会事業に参画しないのだろうか?原因は、この業界の極端な閉塞性にあると思える。

 まず、クリーニング業者は地域社会の団体に所属することはない。一般に地域の企業人は、若い時分には青年会議所、事業家となった後にはロータリークラブ、ライオンズクラブなどの組織に参加することが多い。これは、そういう組織自体が会員募集に力を入れているためだが、なぜかクリーニング業者はほとんどそういう組織に入る人は希で、地域社会の顧客に囲まれながら仕事をしているにもかかわらず、社会的組織に入会することが少ない。どこの町にも商工会議所があるが、こういうものにも積極的に参加しているクリーニング会社などほとんどないのではないだろうか?

 それに代わってどうするのかと思えば、クリーニング業者達は、必ず業界の内部でグループを作って行動する。同業者や、関連業者達でグループを作り、その中で活動するのである。

 当業界には、○○グループ、◎◎◎の会、といった集団がかなり多く存在している。これらは全協の様に政治的、業界全般に通じる団体というのではなく、ほとんどが営利目的だけで存在している。常にグループで動くというのが、クリーニング業者の特徴である。

 そして、各業者はこのグループから一歩も外へは出ようとしない。複数のグループを掛け持って入会しているような業者も多いが、それにしても単独で何かをやるとか、異業種交流のグループなどに参加している事例は少ない。あくまで業界内グループでの行動を常としているのだ。どこかで大もうけしている同業者がいたとなると、この業界ではグループでその内容を研究し、合法か違法かを問題にすることなく、それをただ模倣してしまう。その結果、世間一般から遠ざかり、閉塞的になる。これが、クリーニング業者の特徴である。

 全協の中で活動していると、この業界がそんなに閉鎖的とは思えないが、それは、全協の業者が比較的グローバルな視点を持っているからであり、それがどこの業者にも当てはまると考えてはいけない。周囲の競合店を見れば、クリーニング業界内でだけ動く特殊な一団が目にとまるはずだ。

 

グループ活動の弊害

 特徴は特徴としていいのだが、これだけ閉塞した状況の中では、いろいろな弊害が起こってくるのも事実である。

 まず、業界が閉塞すると、肝心のお客様である消費者とのつながりが希薄になり、コミュニケーションが悪化する。消費者はどんなクリーニングが行われるともわからず、クリーニングを出し続けることになる。クリーニング業者は同業者の方ばかりを見て、消費者の意見を聞かなくなってしまう。当業界にクレームの話が多いのは、この様な事が原因ではないだろうか?

 また、外社会からの情報がなくなると、クリーニング業者は会社の方向性を決定する際、業界内だけの情報を頼るようになる。その結果、当業界はノウハウに依存するようになり、形のないノウハウが売買されるようになる。他業界からの冷静で客観的な視点がなくなれば、一般には考えられないような不可思議で珍妙な営業システム、加工が業界に溢れるようになる。

 かつて、「オゾン発生装置」というものが業界で大流行したことがある。業界紙はこの機種がさも素晴らしいものであるかのように書き立てた時代があった。この騒ぎが突然終わったのは、この装置を使用して追加料金を取っていた業者が一般マスコミに糾弾されてからである。クリーニング業界内の非科学的な流行が、一般マスコミの手によって一発で止められたわけだ。今でも、これに 類するようなことはたくさんあるのではないか?

 そして、クリーニング業界が一般社会から孤立する最大の弊害は、世間から遠ざかったクリーニング業者にとって、世間一般の常識が常識ではなくなってしまい、業界全体が異常な方向へ進んでしまうことであるように思える。

 先の建築基準法問題は、行政に虚偽申請までしたような悪質な例外を除き、ほとんどが「多分大丈夫なんだろう」という業界内の甘い考えによって多数の違反者が出たものと推測される。世間一般では違法なのだが、この業界内では誰でもやっていることであった。「こうすれば儲かる」というノウハウが、法律を越えてしまったのだ。クリーニング業界の人物とだけ付き合っている限り、そういう違法性には気が付くことがない。ほとんどの人に悪意性がないのは、それが悪いことであるという認識がないからだろう。

建築基準法問題を「パンドラの筺」と称した人がいた。開けてはならぬ筺(はこ)が開けられたという意味だと思うが、クリーニング業界が一般社会から隔離され、そこだけの常識で動いている現状では、まだまだこれから第二、第三のパンドラの筺が開けられるものと想像できる。

 

社会とのつながりを

 クリーニング業者は業界内の殻に閉じこもらず、もっと世間一般との交流を深め、顧客である消費者との接点を増やすことが必要であると思う。その上で、社会の一角を成す事業であることを認識してもらい、社会活動にも参画する事が必要である。

 これは、ほとんど当たり前のことだが、その当たり前のことがクリーニング業界では成されていないのではないか。

 全ク連が業界の代表と認識されている現状は、クリーニングがまだまだ社会には認められていない事の現れである。世間一般の考え方では、クリーニングと言えば、零細な業者がアイロンを持って必死に作業する姿が頭に浮かぶのである。クリーニング業者=社会的弱者という認識を早く改めたいが、それには、特に大手といわれるクリーニング業者達が業界内で固まらず、一般社会に飛び出 していく必要があるだろう。

 世界中に広がるロータリークラブでは、「ロータリーの友」という機関誌を毎月発行している。私はこの紙面に「クリーニング業者をロータリーに誘って下さい」という文章を書いたことがある。一般にはクリーニングというと零細な業者を想像されるが、実は従業員100人以上もある業者が日本中にたくさんいる。そういう人をロータリーに・・・という趣旨だった。何人かの同業ロータ リアンから反響があった。おそらく、同じ事を思っていたのだろう。

 この不況の中、最近とみに業績を向上させている会社に練馬区の(有)ムサシノクリーニング商会がある。この会社は従業員教育を徹底し、精神的な部分から従業員に接触し、それがお客様にも伝わるようにと指導が行われている。勿論、地域社会への貢献も方針になっている。

 これは、地域との結びつきが業績につながっているという好例だと思われる。クリーニング業者は、ぜひとも社会一般の中にとけ込み、社会の一角を成すよう提案したい。

 

 

image002 

熱演するノエ・乾

 

 

 

 image003

ノエ・乾はなんと会社の食堂でもパガニーニを披露してくれた。