戦時下の日本映画(人々は国策映画を観たか)

戦時下の日本映画―――人々は国策映画を観たか―――

 古川隆久(吉川弘文館)

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 書物というものはベストセラーをねらって書いているものばかりではない。誰にも明かされていない事実を研究し、世に問うものだってある。それらは、万人に向けられたものではないが、知られざる事実を公表し、顔も知ら ぬ人々をうならせることもあるだろう。本書はまさにそういった一冊で、第二次大戦中、国策映画と呼ばれた作品が、当時の大衆に、本当に受け入れられていたかどうかを探求した研究書である。価格はA5版240ページで2800円と高いが、非常に狭義な世界の研究本であればそれもやむを得ないだろう。

 

 私が自作の中で、円谷英二氏について研究する際は、怪獣映画で成功した以降の円谷英二だけでなく、その人生を均等に評伝としてまとめようと努力したものであった。人生全体の流れを一人の人間の生き方として書こうと 思ったわけだが、それには大昔の知識が必要だった。結果的にサイレント時代からともに映画界で努力した犬塚稔氏の様な方のお話を聞けた事が完成へとつながったのだが、この本は、第二次大戦中に円谷英二が関わった作品についても語られており、その点でも私には大変貴重な資料となる情報にあふれている。

 

 戦時下の日本では、情報を統制するため、当時国民の最大の娯楽であった映画を国家が管理し、映画法を制定、国策映画によって思想を弾圧した・・・というのが一般的な考え方である。

 ところが、この本においては、具体的な観客動員数などの情報を元に、実際には国家が指示した国策映画は大衆の人気を得ることはなく、むしろエノケン、ロッパら喜劇人が活躍する娯楽映画などが大衆に強い指示を得ていた ことを明らかにしている。大衆が娯楽を指向したという事よりも、国家が国民の思想を統制できず、思っていたよりはずいぶん寛容だったことがわかる。

 

 当時大活躍だった榎本健一の映画で、円谷英二の特撮が見れる「孫悟空」は、空前のヒットとなったが、当時の批評家から「愚劣大作」、「日本映画界の恥辱」などと言われたのは驚いた。上映館には見物客が殺到する大人気となったわけだが、それは今日、私たちが見ても、時の流れを感じさせないようなハイブロウな作風であり、映画そのものの出来も相当に良かったのだから、戦前の評価基準では頭の固い評論家に理解できなかったという事だろうか。アバンギャルド、という言葉が似合うような映画は昔受けたのだろうか、とも思ったが、やっぱり当時の大衆の心をとらえていたということだ。

 

 「ハワイ・マレー沖海戦」は、実質的に円谷英二の生涯において最大のヒット作(ゴジラをも上回る)と考えていたが、この書籍の中では、同時代に封切られた時代劇「伊那の勘太郎」に実質的には観客動員力で勝ってはいな いとのこと。国策映画は学校や職場で強制的に見せられる映画であったが、そういうハンディをのぞくと、大衆映画には勝てなかったのだという意外な事実が判明している。結局、「ハワイ・マレー沖海戦」における見せ場は、円谷英二による特撮のスペクタクルだということで、観客の興味はやはりそこに集まっており、それはチャンバラ映画の活劇が大衆に受け入れられるものと同じであったという事である。

 

 「決戦の大空へ」という映画があった。これは、予科練を描いた作品だが、「ハワイ・マレー沖海戦」と同じように、予科練を志願した少年兵が成長するドラマであるものの、「ハワイ・マレー沖海戦」の真珠湾攻撃、マレー海戦のようなクライマックスの活劇がない映画である。この作品は興行的には失敗との事である。やはり大衆をとらえるエンターテイメントがすっぽり抜かれた様な映画では戦時中と言えど、受け入れられなかったということだ。(それにしても、情報が統制されていたという戦時下で、こういう観客動員数などの数値がよく性格に把握できるものだと感心させられる。「情報を統制」していたのは、当時の大本営ではなく、後にそれをプロパガンダとして利用した人々だったのではないかと感じさせられる。)

 ただし、この前の陸軍映画「燃ゆる大空」同様、兵士を兵役に引っ張る力は強力。「燃ゆる大空」は、実に志願した兵士の60%が同作品を見て志願したのだというし、この作品も同様であったという。

 

 「かくて神風は吹く」は英二が大映に出向して特撮場面を担当した作品だが、これは大ヒットしている。構成の単純さと、鎌倉武士が蒙古を迎え撃たんと健闘を誓い合い、握手する場面など仰天映画という私は印象を持っているが、単純な方が大衆には受け入れられると・・・。

 「雷撃隊出動」は、これがまた、成績が悪かったという。対戦末期の物資欠乏と前線での苦戦を正直に映画化したものとして私は個人的に傑作と思っていたのだが、これは受けなかった。リアリズムはダメだ。日本快進撃の幻想を夢見ていたのは、大本営ではなく、日本の大衆だったのか・・・?

 

 この著書は大変参考になった。円谷英二の作品の真の評価がどのようなものであったかを知るばかりでなく、日本の戦時下における大衆掌握術が非常に芳しくなかった、よく言えば正直すぎたことがここで明白になっていると 思う。戦時下の軍部はそんなに巧妙・狡猾ではなかった様だ。新しい情報にあふれ、2800円の価値は十分にある良書でした。素晴らしいと思う。